歌手として幅広く活躍している中島みゆきさん。
その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな歌を出して、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 中島みゆきさんの若い頃の可愛い画像
- 若い頃の歌や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】中島みゆきの若い頃(昔)が可愛すぎ!
歌手として多くのファンを魅了してきた中島みゆきさん。
その若い頃が可愛すぎると話題なんです!
早速、中島みゆきさんの若い頃の画像を見てみましょう。
みゆき中島さんのコンサートのVol.1のスケジュールは東京大阪とも興行とお休みが綿密に考えられて間にお休み取り入れてらしてお仲間さんの演奏家さんなどの疲労も考慮されていてご自身も含めて疲労感が溜まらないよう配慮の計画が素晴らしい☺かとお若い頃には年に60公演とか凄い強行されたかと、! pic.twitter.com/bnp5rVtpM1
— 渡邉 たかし (@mstmusashi2531) April 8, 2024
可愛い!正統派美人!
ちょっと用事があって実家に帰り、父と割り勘で買った中島みゆきの初期のアルバムたちを聴いている。
— 角田萌果 (@Tsunoda_Moka) October 12, 2018
私の年代だと深みが増した彼女の声に耳馴染みがあるので、若い頃の声を聴いていると新しく出会い直している感覚!
メロディも歌詞も声も、シビれるなぁ。 pic.twitter.com/zZ9SP1ut6Q
面影を感じます。
今日はNHKで22:30〜23:15まで中島みゆきさんの歌を堪能できました😃しっかり録画できた😆永久保存版です😂
— ぐっぴい_01_ (@sakaguppy) March 28, 2024
写真はお若い頃のものだと思います😃#中島みゆき pic.twitter.com/4wCmSHYrqe
中島みゆきさん、若い頃から色気があって可愛いですね!
中島みゆきの若い頃(昔)の歌や経歴を時系列でまとめ!
【SONGS】NHK「SONGS」中島みゆき~平成世代が愛する女神~の放送が決定!是非ご覧下さい♪
— 中島みゆきスタッフ公式 (@miyuki_staff) January 18, 2019
NHK総合「SONGS」中島みゆき~平成世代が愛する女神~
1/26(土)23:00~23:30https://t.co/ROQdVwrSoG#中島みゆき#SONGS pic.twitter.com/CMu8X2nTFy
若い頃から可愛い中島みゆきさんですが、昔の歌や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!
20代の頃
中島みゆきさんは、こんな20代を過ごしています。
・1972年(20歳):「フォーク音楽祭全国大会」に出場
・1975年(23歳):『第9回ポピュラーソング・コンテスト』にて「傷ついた翼」で入賞
・1975年(23歳):シングル「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビュー
・1975年(23歳):『第10回ポピュラーソング・コンテスト』にて「時代」でグランプリを受賞
・1976年(24歳):ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」を発表
・1976年(24歳):研ナオコさんに提供した楽曲「LA-LA-LA」と「あばよ」が大ヒット
・1977年(25歳):音楽番組「コッキーポップ」に出演
・1979年(27歳):ラジオ「中島みゆきのオールナイトニッポン」がスタート
・1981年(29歳):シングル「悪女」を発表
中島みゆきさんは、1975年23歳の時に『第9回ポピュラーソング・コンテスト』にて「傷ついた翼」で入賞し、同年9月にシングル「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビューを果たしました。
また、同年の1975年10月に開催された『第10回ポピュラーソング・コンテスト』でも「時代」にてグランプリを受賞しています。
2355.時代
— レトロ 颯 (@Retrohayate) May 11, 2024
1975年キャニオン・レコードより発売された中島みゆきの2枚目のシングルで、チャート最高位は14位(週間 1976年度年間88位 オリコン)です。この年中島さんは音楽各賞を受賞していおり注目が集まる中リリースされた時代は16.4万枚を売り上げるヒットとなり、2007年日本の歌百選に選ばれました pic.twitter.com/BkZpLrOENh
中島みゆきさんはシングル「時代」を発表したことをきっかけに、ミュージシャンとしての実力をヤマハ4代目社長の川上源一さんに見出されたそうです。
中島みゆきさんは若い頃から川上源一さんを師父のように仰いでいて、現在でもスタッフクレジットには「DAD 川上源一」と記載されているんだって!
デビュー後、歌手として活動の幅を広げていく中島みゆきさん。
1976年(当時24歳)には、研ナオコさんに楽曲「LA-LA-LA」と「あばよ」を提供し、大ヒットを記録しています。
同年1976年、「第27回紅白歌合戦」で研ナオコさんが「LA-LA-LA」を披露したことにより、中島みゆきさんは一挙に認知度を広め、ソングライターとしての名を世間に知らしめることとなりました。
当時の中島みゆきのオールナイトニッポンを聴きながら寝るのがマイブーム🎵#中島みゆき#オールナイトニッポン
— ROCK (@voiceprint86) May 21, 2023
おやすみなさい(^_^) pic.twitter.com/xugYASXqCZ
また、1979年27歳の時からはラジオ番組「中島みゆきのオールナイトニッポン」がスタートしており、軽妙な語り口で音楽活動以外でも大きな人気を集めていきました。
ラジオでは、歌唱時に見せる表情とは違う中島みゆきさんのお茶目で温かい語りが人気だったんだって!
30代の頃
30代の中島みゆきさんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。
・1982年(30歳):アルバム「寒水魚」を発表
・1983年(31歳):柏原芳恵さんに提供した楽曲「春なのに」が大ヒット
・1985年(33歳):シングル「冷たい別れ」を発表
・1988年(36歳):アルバム「グッバイガール」を発表
・1989年(37歳):舞台「夜会」の上演をスタート
中島みゆきさんは、1980年代前半にミュージシャンとしてさらに注目を集めていきます。
1982年30歳の時に発表したアルバム「寒水魚」では、オリコンの年間アルバムチャートで1位を獲得しました。
中島みゆき / 歌姫(1982)
— 偏愛的70's (@kakochan1972) April 18, 2016
作詞 作曲:中島みゆき
アルバム「寒水魚」のラストを飾る大好きな曲です。https://t.co/pLKTw0D57j pic.twitter.com/rPy71aPo4v
また、翌年の1983年(当時31歳)に柏原芳恵さんに提供した楽曲「春なのに」が大ヒットし、この楽曲で第25回日本レコード大賞作曲賞を受賞しています。
中島みゆきさん自身の曲だけでなく、提供した楽曲でも大ヒットを記録しているなんてすごい~!
1989年、中島みゆきさんが37歳の時からは、演劇とコンサートを融合した舞台「夜会」の上演をスタートさせました。
中島みゆき「夜会」、最新作「リトル・トーキョー」の全国ロードショー決定https://t.co/eWeV4bLo4E pic.twitter.com/bgGMDFGo42
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) February 7, 2020
この舞台「夜会」は、中島みゆきさんにとってライフワークともいえる舞台になっており、現在でも不定期に開催されています。
40代の頃
40代の中島みゆきさんの経歴も見てみましょう。
・1992年(40歳):シングル「浅い眠り」がミリオンヒットを記録
・1994年(42歳):シングル「空と君とのあいだに/ファイト!」がミリオンヒットを記録
・1998年(46歳):シングル「命の別名/糸」を発表
・1999年(47歳):文部科学省の国語審議会委員を務める
・2000年(48歳):レコード会社「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」に移籍
・2000年(48歳):シングル「地上の星/ヘッドライト・テールライト」を発表
40代になっても活躍の勢いが止まらない中島みゆきさん。
1990年代には、
- 浅い眠り
- 空と君とのあいだに/ファイト!
- 旅人のうた
の3枚のシングルでミリオンヒットを記録しました。
#Nowplaying 空と君のあいだに - 中島みゆき (空と君のあいだに/ファイト! - Single) pic.twitter.com/imdIWQVDNb
— ptrst (@ptrst102) June 20, 2024
なかでも1994年(当時42歳)に発表したシングル「空と君とのあいだに/ファイト!」は147万枚のセールスを記録し、中島みゆきさんにとって最大級のベストセラーとなっています。
シングル「空と君とのあいだに/ファイト!」は両A面として発売されたよ!どちらもすごく有名な曲だよね~!
中島みゆきさんは、2000年48歳の時に当時創設されたばかりのレコード会社「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」に移籍しました。
移籍後は、シングル「地上の星/ヘッドライト・テールライト」を発表。
#Nowplaying 地上の星 - 中島みゆき (地上の星 / ヘッドライト・テールライト)
— よこ⛈️ (@hiyokosan96) July 26, 2024
150回目の再生 pic.twitter.com/hndEpeF3If
この曲は、テレビ番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」の主題歌になり、これまで中島みゆきさんの楽曲に馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に人気を集めました。
50代の頃
50代の中島みゆきさんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?
・2002年(50歳):「第53回NHK紅白歌合戦」に出場
・2003年(51歳):シングル「銀の龍の背に乗って」を発表
・2005年(53歳):テレビ番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」の最終回に出演
・2006年(54歳):「第56回芸術選奨 文部科学大臣賞」を受賞
・2006年(54歳):TOKIOに提供した「宙船」で「第48回レコード大賞作詩賞」を受賞
・2009年(57歳):紫綬褒章を受章
テレビ番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」の人気が高まるとともに、中島みゆきさんのシングル「地上の星/ヘッドライト・テールライト」はますます注目を集めていきます。
そして、最終的にはオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異の記録を打ち立てました。
このロングヒットがきっかけとなり、中島みゆきさんは2002年(当時50歳)に「第53回NHK紅白歌合戦」に出場し、黒部ダムからの中継で「地上の星」を披露しています。
黒部ダムといえば、中島みゆきさんが紅白歌合戦で地上の星を歌ったのはこの地下トンネルです。当時、県民盛り上がりました😊そして、映画ホワイトアウトが黒部ダムで撮影されたということは、一生さん来てた?😀 pic.twitter.com/JeBmXuuMGL
— GONTA (@GONTA26260063) May 30, 2020
黒部ダムはテレビ番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」でも取り上げられた場所で、中島みゆきさんは「第53回NHK紅白歌合戦」の歌手別視聴率で最高の52.8%を記録したそうだよ~!
50代になってもさらに活躍の幅を広げていく中島みゆきさん。
中島みゆきさんの活動は、各方面で評価され
- 第56回芸術選奨 文部科学大臣賞
- 第48回レコード大賞作詩賞
- 紫綬褒章
など、数多くの賞を受賞(受章)しました。
若い頃から数々のヒット曲を生み出してきた実績が評価されたんだね!
中島みゆきの若い頃(昔)と現在を画像で比較!
中島みゆきさんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在の中島みゆきさんは変わっているのでしょうか?
昔の中島みゆきさんと現在の中島みゆきさんを画像比較してみましょう。
中島みゆき
— 山口順平 (@hanamogera20) July 20, 2024
「土の入った笊(ざる)を川の流水の中で揺すると砂金だけが残るの、ありますよね。あれに似ているかも知れない。心の笊というか。歌を聴いたとき、聴いた人の心の笊に何かが残ったとしても、何が残るかは歌い手側の意図を超えている場合もあって」#中島みゆき pic.twitter.com/5EXCwXbMUB
若い頃も現在も、なんて可愛く美人なのでしょうか!
若い頃も可愛いけど、オトナの魅力が増した中島みゆきさんもすごく素敵!
もちろん歳を重ねた感じはありますが、肌ツヤもよく飄々とした中に大人の余裕を感じます。
年月とともにどんどん中島みゆきさんの魅力が増していて、素敵ですね!
中島みゆきの若い頃(昔)の髪型は?
中島みゆきさんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
みゆき中島さんのこのお歌の“時代”をお若い頃から作詞作曲その先を読まれるパワー智力をお身体の中に蓄積されていてその豊かな蓄えからスラスラと言葉も流れ出てきてこの先も永く歌い継がれてゆくプレーンな歌詞ながら奥は深く豊かな水の流れのように絶えることなく迸ってほとばしって流れ…続くかと。 https://t.co/TROgK2R1C5 pic.twitter.com/kQ8M8A1zal
— 渡邉 たかし (@mstmusashi2531) June 30, 2023
若い頃の髪型は黒髪のロングヘア。
中島みゆきさんは、若い頃からロングヘアのイメージがありますね!
若い頃の髪型も素敵!似合う!
中島みゆきが初めて月9主題歌を担当、吉沢亮主演ドラマ「PICU 小児集中治療室」に壮大なバラード曲提供(コメントあり)https://t.co/XH56RdJGmg#中島みゆき #PICU pic.twitter.com/9gj56Ssz7D
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) September 26, 2022
そして、現在は赤っぽい髪色のロングヘア。
舞台やコンサートの際には、ウィッグを使用していることも多いそうです!
様々な髪型を経験してきた中島みゆきさんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた中島みゆきさん。
これからも応援しています!