俳優として幅広く活躍している石原裕次郎さん。
その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 石原裕次郎さんの若い頃のイケメン画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】石原裕次郎の若い頃(昔)がイケメンすぎ!
1987年 7月17日…
— 時星リウス@妄想自由人 (@TokiBosi20) July 17, 2020
石原裕次郎さんの御命日です。
僕の中では、太陽にほえろ!のボスが一番しっくりきますね。
享年52歳・・・
え?同い年になってもーた!?😥 pic.twitter.com/pV1JAQjYjW
俳優として多くのファンを魅了してきた石原裕次郎さん。
その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!
歳を重ねてもイケメンだけど!
早速、石原裕次郎さんの若い頃の画像を見てみましょう。
京都文化博物館フィルムシアター、武満徹の映画音楽世界。4日は『狂った果実』(1956)。太陽族映画の第二弾。石原裕次郎が初主演、彼の地でいく自由奔放さで若い世代にアピールし、一躍時代のヒーローになった。本作は既成のモラルからドロップアウトした若者達“太陽族”の魅力のみならず(続 pic.twitter.com/wwM7VjOGxi
— 森脇清隆 K_Moriwaki (@mk_pai) September 4, 2020
イケメン!爽やかすぎる!
職場の昼休み、ある若いスタッフが「わたし木村拓哉の若い頃が最強にかっこいいと思うんですよ」と言っててみんな頷いてたけど私が
— yukabear76 (@Mauloanani76) June 5, 2020
「そういう人いるよね?私も若い頃の石原裕次郎が最強に顔が良いと思う」と言ったら誰も知らかった…( ºωº )チーン pic.twitter.com/HNowyFBjEq
見つめられるとドキドキします。
#2人組をあげる見た人もやる#ダイヤモンドの魅力
— トニー (@xNhLqbkEnk3ppYa) November 21, 2023
石原裕次郎と芦川いづみ
北原が引退した後は
日活の優しいお姉さんはいづみさん。
そして『俺に任せろ』と頼れる兄貴の裕ちゃん。 pic.twitter.com/gvAISuGHWT
石原裕次郎さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!
石原裕次郎の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!
【今日の墓碑銘】
— 義視 (@kamo1868) July 16, 2017
1987年7月17日。石原裕次郎が死去。日本を代表する映画俳優。代表作に『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』などがある。石原プロを設立し歌手としても活躍。後年はテレビドラマにも進出した。兄は元東京都知事の石原慎太郎(52歳・肝細胞癌) #死は生を最後に完成させるもの pic.twitter.com/O8scTa9mj7
若い頃からイケメンな石原裕次郎さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
20代の頃
20代の石原裕次郎さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。
・1956年(22歳):映画『太陽の季節』で俳優デビュー
・1956年(22歳):映画『狂った果実』で主演と主題歌を務め、歌手デビュー
・1956年(22歳):映画『乳母車』で主演、製作者協会新人賞を受賞
・1957年(23歳):映画『嵐を呼ぶ男』で主演、主題歌も担当
・1957年(23歳):映画『勝利者』に出演、ブルーリボン賞 新人賞を受賞
・1960年(26歳):女優・北原三枝(本名:石原まき子)さんと結婚
・1962年(28歳):日本初のロードムービー『憎いあンちくしょう』で浅丘ルリ子さんとW主演
・1963年(29歳):石原プロモーションを設立し、第1弾製作映画『太平洋ひとりぼっち』に主演
・1963年(29歳):セイラーとしてトランスパシフィック・ヨット・レースに参加
大学在学中から俳優を目指し、オーディションを受けるも不合格が続いた石原裕次郎さん。
1956年、実兄である、作家の石原慎太郎さんの芥川賞受賞作品『太陽の季節』の映画化の際、慎太郎さんの推薦によりこの映画での端役でようやくデビューが叶いました。
『狂った果実』でも石原慎太郎さんの短編小説が映画化され、石原裕次郎さんが映画初主演!
また、この作品で主題歌「狂った果実」を歌い、190万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
俳優としても歌手としても、デビューしたのは22歳の時だったのか!
1963年、29歳の若さで石原プロモーションを設立した石原裕次郎さん。
「大手映画会社に出来ない作品を作る」という理想のもとに製作を開始します。
独立後の第1弾は、海洋冒険家の堀江謙一さんをモデルとした映画『太平洋ひとりぼっち』でした。
#1日1本オススメ映画#推し旧作はコレだ
— KON (@eyevigor) August 5, 2018
「太平洋ひとりぼっち」。市川崑監督の映画に石原裕次郎が出演するのは、これが最初で最後。結果的に、両者の持ち味を生かせた、素晴らしいコラボレーションになった。ラストのサンフランシスコの湾内のシーンは美しく、感動的だ。 pic.twitter.com/iAg36KAUdd
この映画で、
- 第18回文化庁芸術祭映画部門 芸術祭賞
- ブルーリボン賞 企画賞
- キネマ旬報ベストテン 第4位
等を受賞、また第17回カンヌ国際映画祭のンペティション部門に出品もされたのです。
プライベートでは、1960年 石原裕次郎さんが26歳の時に女優・北原三枝さん(本名:石原まき子さん)と結婚しました。
石原裕次郎 北原三枝 結婚式 1963 #ごごカフェ @toshiakis pic.twitter.com/n9RYyFRx2j
— GON.QR (@GONQR) April 16, 2021
2人の馴れ初めは、1956年、まだ無名だったデビュー前の頃に日活のスタジオで出会い、恋に落ちたそうです。
そして何度か共演し恋仲となった2人ですが、トップスター同士の恋愛であった為、一時は会社に反対されつつも最後はめでたくゴールインとなりました。
ちなみに日本で初めての記者会見を行ったのがこの2人だと言われています。
30代の頃
30代の石原裕次郎さんの経歴も見てみましょう。
・1967年(33歳):映画『夜霧よ今夜も有難う』で主演、主題歌も担当
・1969年(35歳):映画『栄光への5000キロ』で製作、主演
・1970年(36歳):映画『富士山頂』で製作、主演
・1970年(36歳):映画『ある兵士の賭け』で製作総指揮、出演
・1971年(37歳):結核を患い療養
・1972年(38歳):ドラマ『太陽にほえろ!』シリーズで主演
・1973年(39歳):映画『反逆の報酬』で主演
1970年の石原プロ制作の映画『ある兵士の賭け』は、第28回ゴールデングローブ賞 外国映画賞にノミネートされた作品です。
「ある兵士の賭け」を観ました、石原裕次郎の映画だけど石原裕次郎はどうでも良くて(実際脇役レベルです)考証ガバガバな朝鮮戦争のシーンとラストのベトナム戦争のシーンが見どころ、 pic.twitter.com/RUpJ4JkKQk
— 死鯔 (ですぼら) (@bccp6e) October 5, 2020
前作『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』と興行的に成功を収めたことから、海外での上映に向けた第一弾として制作されました。
映画を製作する機会も増えて、ますます魅力的になっていくなぁ~
現在では日本の刑事ドラマの金字塔とされる作品でもある『太陽にほえろ!』ですが、放送開始は1972年です。
ちょっと時間出来たので何となくテレビ付けたら太陽にほえろ!の再放送をやっていた。全く初見なのだがメチャクチャ面白くて全部見てしまった。石原裕次郎の存在感がヤバい pic.twitter.com/OF8ml35LBL
— IDA (@ida_japanese) December 24, 2023
新人や無名俳優を主役級扱いで出演させ、成長を描き、やがて殉職していくというスタイルでたくさんのスターが生み出されました。
おはようございます⛅#夢中になった昭和TV
— Sugartime (@HayabusaJETS) February 28, 2024
《太陽にほえろ!》
1972年7月〜1986年11月
警視庁七曲署捜査一係を舞台にした金曜8時のアクション刑事ドラマ
ボス、マカロニ、ジーパン等、個性豊かなニックネームがお茶の間にも浸透
石原裕次郎の存在感と、名優の無骨な演技が輝いた刑事ドラマの金字塔 pic.twitter.com/Voctah7NkE
石原裕次郎さんは撮影途中、病気で入院することになってしまい、渡哲也さんに代役を任せましたが「健康な状態での復帰が望めない」として降板の申し出をしました。
1986年の最終回に復帰し、番組のテーマともいえる生命の尊さをアドリブを交えながら訴え、物語をしめくくったのです。
40代の頃
40代の石原裕次郎さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?
・1976年(42歳):ドラマ『新・座頭市』に出演、主題歌も担当(~1977年)
・1978年(44歳):舌下潰瘍で手術、悪性腫瘍(舌癌)と診断
・1978年(44歳):ドラマ『大都会』シリーズで製作、出演(~1979年)
・1979年(45歳):ドラマ『西部警察』シリーズで製作、出演、主題歌を兼任(~1984年)
・1979年(45歳):舌下白版症と診断、再手術
・1981年(47歳):大動脈解離で手術
・1982年(48歳):アニメ映画『わが青春のアルカディア』で声優を務める
これまで映画中心に制作を行ってきた石原プロですが、初めて本格的にテレビドラマ制作を手掛けたのが『大都会』シリーズです。
【お正月のシアターバッカス!】
— 高円寺シアターバッカス (@theater_bacchus) January 6, 2023
特集上映「石原プロの漢たち」
1月8日(日)17:00〜
「大都会partII」
第37話「銀行ギャング徳吉」
石原裕次郎・渡哲也・松田優作、3大ヒーローアイコンが一堂に会する夢のような大ヒットシリーズ「大都会 PARTII」16mmフィルム上映!
©️石原音楽出版社 pic.twitter.com/2TI1Shy4bd
シリーズpartⅢまで続きましたが、もっとスケールの大きな作品を望んで設定やキャストをほぼ後の『西部警察』に引き継ぎ、制作を行うことを発表しました。
この頃の石原裕次郎さんは、過度な飲酒と喫煙が原因で舌癌と診断され入院、手術も行っていますが、癌であったことは本人には告知されなかったそうです。
病気と治療を繰り返しながらも作品を作り続けた石原裕次郎さんはさすが!
1979年から1984年にかけて放送された『西部警察』シリーズ。
『西部警察』の石原裕次郎は今見ると凄い貫禄だが、44歳なんだぜ。
— 中井かんいち (@ichikawakon) February 8, 2022
アラフィフではないのだ! pic.twitter.com/4wDlK5VVjK
大規模なセットを組んだアクションを重視した為か、撮影中の演者やスタッフの怪我や事故も起こっていたようですよ。
石原プロといえば、撮影用のバイクや車、機材もすべて自社で保有していたことでも有名です。
【トピック】
— Mikiki タワーレコードの音楽ガイドメディア (@mikiki_tokyo_jp) December 27, 2023
石原裕次郎 生誕90周年、ドラマ「大都会」「西部警察」が劇場上映される特別企画&トークイベントが開催https://t.co/2eqgIva2cR#石原裕次郎 #大都会 #大都会闘いの日々 #西部警察 #渡哲也@IshiharaDVD @ishiharapro1 pic.twitter.com/KwFw4RDVBU
共演した当時まだ若手だった舘ひろしさんは、石原裕次郎さんのことを
裕次郎さんは文字通り“太陽”みたいな人で、まず怒ることがないし、他人の悪口は絶対に言わない。
と、繊細な心の持ち主で懐の深い人だったことを語っています。
1984年、50歳で肝細胞癌が発覚しハワイで療養をしていましたが、体調が悪化し緊急帰国した石原裕次郎さん。
#ラジオ深夜便
— maripon (@maripon009) July 16, 2020
本日(7/17)は、昭和の大スター、石原裕次郎さんの命日
1987(昭和62)、享年52歳という若さで、この世を去ったhttps://t.co/Q0CHexcVk5
太陽にほえろ! 最終話 そして又、ボスと共に
石原裕次郎
渡哲也
西山浩司
又野誠治
石原良純
長谷直美
神田正輝
地井武男 pic.twitter.com/KiWixS9p29
肝性脳症が原因で52歳の時にお亡くなりになりました。
石原裕次郎の若い頃(昔)の髪型は?
石原裕次郎さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
髪を切ったんですけどね、前回はもんちっち。今回は若い頃の石原裕次郎と言われました… pic.twitter.com/ENZC5zS96s
— バキバキ既婚者 (@geboku69) April 9, 2018
若い頃の髪型は、短めのスポーツ刈りです。
さすが昭和の大スターと言われる石原裕次郎さんだけあって、髪型をマネする男性は多かったようですよ。
「裕次郎カット」という呼び方もあるみたいです。
若い頃の髪型も素敵!似合う!
#ミュージック10
— 極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ) (@tZfQqGGUah95L2a) January 8, 2024
石原裕次郎 太陽にほえろ pic.twitter.com/xCLbjjDQJZ
そして、40代はオールバックにしています。
刑事ドラマで刑事たちを取りまとめる役どころが多かったので、髪型もビシッと決めていたのでしょうか。
貫禄と渋さが際立っていますね。
様々な髪型を経験してきた石原裕次郎さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた石原裕次郎さん。
とてもかっこいい人生を歩んだことがわかりました!