俳優として幅広く活躍していた三國連太郎さん。
その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 三國連太郎さんの若い頃のイケメン画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】三國連太郎の若い頃(昔)がイケメンすぎ!
今号の連載「日本一の書評」は、#宇都宮直子 さんの『三國連太郎、彷徨う魂へ』(文藝春秋)を、映画史家・比較文学者の #四方田犬彦 氏がレビュー。「本書はカサノヴァ症候群の角度からスター俳優の三國連太郎を見つめ、本人から女性観を聞き出した本である」#三國連太郎彷徨う魂へ pic.twitter.com/fB4jzEqQus
— 週刊現代 (@WeeklyGendai) April 29, 2020
俳優として多くのファンを魅了してきた三國連太郎さん。
その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!
ハーフっぽい顔立ちでカッコいいね!
早速、三國連太郎さんの若い頃の画像を見てみましょう。
”三國連太郎役”の三國連太郎さん。 pic.twitter.com/o2Qyugrzlr
— 橙 (@strangeorange81) January 20, 2024
イケメン!爽やかすぎる!
三國連太郎さんの若い頃のお写真、訃報をテレビで見た時に衝撃を受けたよね… pic.twitter.com/qtAntH6FBI
— 汲 (@tetotateeen) May 12, 2024
見つめられるとドキドキします。
#カッコいいと思う何かを貼る
— 川面梵児 (@hitukishinji) December 23, 2019
若い頃の三國連太郎 pic.twitter.com/DeK5g5DEM0
三國連太郎さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!
三國連太郎の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!
追悼・西田敏行、主演映画「釣りバカ日誌20 ファイナル」日テレでOAhttps://t.co/beTlloNd2K#釣りバカ日誌 #西田敏行 #三國連太郎 #浅田美代子 #吹石一恵 #塚本高史 #松坂慶子 pic.twitter.com/RduESO6iZJ
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) October 27, 2024
若い頃からイケメンな三國連太郎さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
20代の頃
20代の三國連太郎さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。
・1943年(20歳):赤紙(軍の召集令状)が届き逃亡を図るも、静岡県の陸軍に入隊
・1945年(22歳):第二次大戦敗戦後、中国の収容所に抑留
・1946年(23歳):日本への早期帰国の為、偽装結婚
・1948年(25歳):妊娠中の妻と離婚し鳥取県で農協入りした後、現地の女性と結婚
・1950年(27歳):農協を辞め、福島県を拠点に闇商売を始めるも挫折
・1950年(27歳):松竹のプロデューサーにスカウトされ、松竹大船撮影所に演技研究生として入所
・1951年(28歳):映画「善魔」(三國連太郎役)で俳優デビューを果たし、ブルーリボン賞にて新人賞を受賞
・1952年(29歳):東宝作品への出演がきっかけで松竹を解雇
・1952年(29歳):2度目の離婚
・1952年(29歳):映画「本日休診」(勇作役)に出演
三國連太郎さんは、1951年に俳優としての人生をスタートさせるまで、波乱の人生を送ってきました。
第二次世界大戦真っ只中の1943年、20歳の時に赤紙(陸海軍の召集令状)が届きますが、戦争に行きたくなかった三國連太郎さんは逃亡。
しかし結局は連れ戻されてしまい、陸軍に入隊することになったそうです。
実際に戦うことはなく終戦を迎えましたが、その後も中国の収容所に入れられたり、早期帰国のための偽装結婚や日本各地を転々としながらの仕事、離婚や2度目の結婚など、若い頃から様々な経験をされてきました。
三國連太郎さんはこの時の偽装結婚も合わせて、亡くなるまでに計4回の結婚と3回の離婚をしているんだって!
そんな生活を送っていた三國連太郎さんですが、1950年、27歳の時についに人生の転機が訪れました。
不思議なタイトルがずっと気になっていた映画をやっと観ました。悪に打ち勝とうとする善の魔性が善魔ならばこの世は善魔ばかりですね。善い行いは誰にとっても善いわけではないと何とも渋くて苦いです。三國連太郎が三國連太郎になった映画で、血気盛んだけど急にメソメソして起伏激しめでした。#善魔 pic.twitter.com/l3IDxMF08W
— ak (@silencio555) October 17, 2022
東銀座を歩いていたところをスカウトされ、松竹大船撮影所の演技研究生となります。
そして翌年の1951年に映画「善魔」でデビューし、この時の役名だった”三國連太郎”を名乗り、俳優人生をスタートさせることになりました。
映画「善魔」(1951)鑑賞。三國連太郎さんのデビュー作品とのことで。#善魔 #三國連太郎 pic.twitter.com/fWjFEHThMX
— 高橋典幸 (@NoriyukiJP) October 25, 2021
三國連太郎さんはこの映画でブルーリボン賞新人賞を受賞。
監督からも認められる活躍をみせましたが、さらに翌年の1952年には、松竹と東宝による三國連太郎さんを巡る争奪戦の末、松竹から解雇を言い渡されてしまいます。
プライベートではこの間に2度目の離婚をするなど、デビュー後も波乱の人生は続きました。
30代の頃
30代の三國連太郎さんの経歴も見てみましょう。
・1954年(31歳):映画「宮本武蔵」(本位田又八役)に出演
・1956年(33歳):映画「ビルマの竪琴」(主演:井上隊長役)に出演
・1956年(33歳):テレビドラマ「どたんば」(炭鉱労働者役)に出演
・1957年(34歳):映画「異母兄弟」(主演:鬼頭範太郎役)に出演
・1957年(34歳):3度目の結婚
・1960年(37歳):3人目の妻との間に男児(=佐藤浩市さん)が誕生
・1960年(37歳):映画「大いなる旅路」(主演:岩見浩造役)に出演し、ブルーリボン賞にて主演男優賞を受賞
・1961年(38歳):映画「はだかっ子」(尾沢おじさん役)、映画「飼育」(鷹野一正役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優助演賞を受賞
30代になってからも活躍の場を広げ続ける三國連太郎さんは、1956年にはNHKで放送された「どたんば」でテレビドラマデビューも果たします。
「どたんば」は当時はまだ多かった”生放送”のドラマで、演技は全て一発勝負、言い間違えなどもそのまま放送されるという緊張感の中、三國連太郎さんは荒々しい炭鉱夫役を演じ切りました。
場面が変われば大急ぎで違うセットに移動したり、セリフを忘れて芝居が止まってしまったり、大変な撮影だったみたいだよ。
家城巳代治『異母兄弟』(1957年)の三國連太郎 #映画に出てくる父親 pic.twitter.com/GX30MDEm0p
— maggot brain (@yossan050) May 30, 2023
1957年公開の映画「異母兄弟」では、軍人の鬼頭範太郎役を演じました。
役になりきり作品ごとに全く違う顔を見せる三國連太郎さんですが、本作中では、34歳という若さで70代の老けこんだ鬼頭を演じるために、”10本の歯を抜く”という徹底的な役作りをして臨んだそうです。
しかも、顔が腫れると困るからって、麻酔なしで抜いたんだって。
ひぇ~!!すごい役者魂!
そんなストイックな役者人生を送る三國連太郎さんですが、プライベートでは、1957年に3度目の結婚をしました。
三國連太郎にミルクを飲ませてもらう佐藤浩市(1961) pic.twitter.com/ohOoED5wY1
— いちぢく (@icjk2019) December 27, 2023
1960年には男の子も誕生しておりますが、この男の子こそが、後に俳優として活躍する”佐藤浩市さん”だそうです。
三國連太郎 / 佐藤浩市 / 寛一郎#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/PALNOYHlxj
— tanigawa nisin🌻 (@twinforest) November 20, 2022
あらためてお2人の画像を比べてみても、やっぱりとても似ていますね!
三國連太郎さんには、1人目の奥さんとの間に1人、3人目の奥さんとの間に1人、そして佐藤浩市さんの合計で3人の子供がいるとされていますが、佐藤浩市さん以外は誕生年や名前などは公表されていないようです。
40代の頃
40代の三國連太郎さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?
・1963年(40歳):映画「無法松の一生」(主演:富島松五郎役)に出演
・1965年(42歳):映画「飢餓海峡」(主演:犬養多吉役)映画「にっぽん泥棒物語」(主演:林田義助役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優主演賞などを受賞
・1969年(46歳):映画「新選組」(芹沢鴨役)に出演
・1969年(46歳):テレビドラマ「霧の旗」(大塚鉄三役)に出演
・1969年(46歳):テレビドラマ「戦国艶物語(第2部)」(豊臣秀吉役)に出演
・1970年(47歳):映画「蝦夷館(えぞやかた)の決闘」(宇佐新兵衛役)に出演
・1971年(48歳):映画「甦える大地」(野田鋭介役)に出演
1965年、三國連太郎さん42歳の時には映画「飢餓海峡」や「にっぽん泥棒物語」に出演。
- 毎日映画コンクール・・・男優主演賞
- キネマ旬報賞・・・男優賞
- ホワイトブロンズ賞・・・主演男優賞
などの各賞を受賞しました。
三國連太郎さん演じる、飢餓海峡の犬飼多吉。今日で一周忌。早いなあ。 pic.twitter.com/Gfp2gghwQN
— ぱっくまん (@hyomy_park) April 13, 2014
映画「飢餓海峡」では主役の犬養多吉を演じ、貧困を極めたの人間の欲望や苦悩、それによって引き起こされた数奇な運命に巻き込まれていく様子を怪演。
これまで数多くの作品に出演してきた三國連太郎さんの、代表作とも呼ばれる作品となりました。
1965年 高岩肇/武田敦•脚本 山本薩夫•監督作品
— ガッツ14 (@56257HCXad2IHzC) September 17, 2024
『にっぽん泥棒物語』
三国の自伝を読んだ事が有る。あまりにもこの映画の主人公と三国の生き様がダブってソコだけとっても面白い🤣 松川事件を上手く絡めながら名匠山本薩夫が重喜劇として作り上げている。モグリだらけの今の世、見て欲しい一本❗ pic.twitter.com/XtD1JdDspg
映画「にっぽん泥棒物語」では、”破蔵詩(むすめし)”と呼ばれる泥棒のエリート、林田義助役を演じます。
配信で映画『にっぽん泥棒物語』腕利きの泥棒を三國連太郎が愛嬌たっぷりに演じる。喜劇として気楽に観ていると、この男がある事件の犯人を目撃したことから社会派な雰囲気が濃くなってくる。しかし終盤の裁判の場面では三國の話芸が炸裂。めっちゃ笑う。刑事役伊藤雄之助のねた〜っとした演技も最高。 pic.twitter.com/tAiMt5WGdh
— 猫月亭とら (@toramoon) December 14, 2023
本作は戦後の日本で実際にあった『松川事件』がモデルになっており、三國連太郎さんは時にユーモラスに、時にシリアスに林田義助を演じ、観る人の感情を揺さぶりました。
終盤の法廷のシーンでは、思わず涙した人も多いんじゃないかなぁ…
50代の頃
俳優として進化を続けた、50代の経歴も見ていきましょう。
・1974年(51歳):映画「襤褸(らんる)の旗」(主演:田中正造役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優主演賞を受賞
・1976年(53歳):テレビドラマ「赤い運命」(島崎栄次役)に出演
・1977年(54歳):映画「八甲田山」(山田正太郎役)に出演
・1978年(55歳):テレビドラマ「家族熱」(黒沼謙造役)に出演
・1979年(56歳):映画「復讐するは我にあり」(榎津鎮雄役)に出演
・1981年(58歳):映画「セーラー服と機関銃」(三大寺一役)に出演
50代を迎えてなお、ストイックな役作りを続けた三國連太郎さん。
『襤褸の旗』
— 淡島 玄 (@iAOWfkv0IhfK7fd) June 23, 2023
足尾鉱毒事件と共に田中正造の生涯を追う実録史。文明開化後の人民の権利が、それを上回る公権力の行使をもって蹂躙される様は悲壮感一色。谷中村閉村の経緯は現代にも通ずる近代の闇を象徴的に描き、道理に合わぬことが罷り通ることの愚かしさを切々と訴える。
100年戦争前篇 pic.twitter.com/32z0G7w5by
1974年、51歳で出演した映画「襤褸(らんる)の旗」では、足尾鉱毒事件を告発した政治家・田中正造役を演じました。
田中正造が三國連太郎さんに乗り移ったかのような迫真の演技を見せ、毎日映画コンクールにて男優主演賞を受賞しています。
田中正造が土を食べるシーンがあるんだけど、なんとそのシーンは三國連太郎さんのアドリブなんだって!
『復讐するは我にあり』1979年の作品。犯人役緒形拳のギラギラ感がたまらなくカッコいい。そして三國連太郎が父親役。 pic.twitter.com/uYsmXmWHJz
— くま (@chebuno_odekake) September 5, 2014
1979年公開の映画「復讐するは我にあり」では、緒形拳さん演じる殺人鬼の父親役を演じます。
息子と対峙するシーンでは、憎しげに緒形拳さんの顔に向かって唾を吐き掛ける一幕もありました。
三國連太郎さん本人いわく”本気で思いっきり唾をためて相手の顔をめがけて吐き掛けた”ようで、ここでも芝居に手を抜かない役者魂が伺えますね。
三國連太郎の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
三國連太郎さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在(晩年の80代)の三國連太郎さんは変わっているのでしょうか?
昔の三國連太郎さんと80代の三國連太郎さんを画像比較してみましょう。
若い頃スッキリしょうゆ顔で、年取って顔が濃くなった場合は、小顔矯正をすると、またある程度までスッキリした薄い顔に戻ります。
— 伊藤みゆき マンダムール オーナー (@mains_damour) January 23, 2022
でも、三國廉太郎は若い頃のスッキリ顔もカッコいいけど、晩年の刻まれた皺もさらにカッコいいと思う。 pic.twitter.com/CdbzoVuC0H
若い頃からなんてイケメンなのでしょうか!
イケメンすぎて惚れ惚れしちゃう
もちろん歳を重ねた感じはありますが、ダンディーで、優しい笑顔もとっても素敵です。
年月とともにどんどん三國連太郎さんの魅力が増していて、かっこよすぎですね!
三國連太郎の若い頃(昔)の髪型は?
三國連太郎さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
三國連太郎の若い頃、思った以上に要潤だわ。 pic.twitter.com/PobH9kmoTS
— あさだ (@Ayakoasada) October 17, 2019
若い頃の髪型は、左側から9対1くらいで分けた”サイドパート”と呼ばれる髪型でした。
カラーはせず黒髪で、きちんと感と爽やかさを兼ね備えた髪型が、若い頃の三國連太郎さんの端正な顔だちを際立たせていますね。
若い頃の三國連太郎と佐藤浩市はよく似ている。もちろん親子だからなんだけど… #佐藤浩市 #三國連太郎 #息子が似てくる #別れた旦那に #複雑な気分 #かわいさ余って憎さ百倍 pic.twitter.com/ubfmHtcQp2
— 讃岐ぶぎうぎエンジェル (@bugiugi_angel) May 20, 2019
前髪をおろすと少しワイルドな印象で、これもまたお似合いです!
若い頃の髪型も素敵!似合う!
釣りバカ日誌のスーさん、三國連太郎さん。
— グリーズ・リー (@taka_grizzly) May 12, 2024
出身では無いのですが、出生が群馬県。#意外な群馬県出身者 pic.twitter.com/nLyAUn49ck
そして晩年は、白髪をオールバック風にセットした髪型でした。
三國連太郎さんが65歳の時から出演を続けた代表作、映画「釣りバカ日誌」の”スーさん”がまさにこの髪型でしたね。
様々な髪型を経験してきた三國連太郎さんですが、どんな髪型でも似合っています!
若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた三國連太郎さん。
これからも応援しています!