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【画像】美空ひばりの若い頃が可愛すぎ!昔の歌や経歴を時系列まとめ!


歌手や女優として幅広く活躍していた美空ひばりさん。

残念ながら1986年6月24日、間質性肺炎による呼吸不全のため享年52歳でお亡くなりになりましたが、その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな歌をリリースし、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • 美空ひばりの若い頃の可愛い画像
  • 若い頃の歌や経歴
  • 若い頃と晩年の比較画像
  • 若い頃と晩年の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】美空ひばりの若い頃(昔)が可愛すぎ!

歌手や女優として多くのファンを魅了してきた美空ひばりさん。

その若い頃が可愛すぎると話題なんです!

早速、美空ひばりさんの若い頃の画像を見てみましょう。

可愛い!正統派美人!

面影を感じます。

美空ひばりさん、若い頃から色気があって可愛いですね!

美空ひばりの若い頃(昔)の歌や経歴を時系列でまとめ!

若い頃から可愛くて「歌謡曲の女王」と名高い美空ひばりさんですが、昔の歌や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!

幼少期~10代の頃

美空ひばりさんは、こんな幼少期~10代を過ごしています。

幼少期~10代の美空ひばりさんの経歴まとめ

・1945年(8歳):『美空和枝』の芸名で初舞台

・1946年(9歳):NHK「のど自慢素人音楽祭」に出場

・1947年(10歳):芸名を『美空ひばり』に変更

・1949年(12歳):多数の作品に出演

  • 映画「のど自慢狂時代」
  • 映画「踊る竜宮城」
  • 映画「悲しき口笛」(主役・田中ミツコ役)

・1949年(12歳):多数の歌をリリース

  • シングル「河童ブギウギ」
  • シングル「悲しき口笛」

・1950年(13歳):映画「東京キッド」(主役・マリ子役)に出演し、同名の主題歌をリリース

・1951年(14歳):多数の作品に出演

  • 映画「泣きぬれた人形」(主役・アヤ子役)
  • 映画「あの丘越えて」(主役・白濱萬里子役)

・1951年(14歳):多数の歌をリリース

  • シングル「泥んこブギ」
  • シングル「陽気な渡り鳥」

・1952年(15歳):多数の作品に出演

  • 映画「陽気な渡り鳥」(主役・ 岡本みどり役)
  • 映画「牛若丸」(主役・牛若丸/桔梗役)
  • 映画「リンゴ園の少女」(マルミ役)

・1952年(15歳):多数の歌をリリース

  • シングル「リンゴ園の少女/リンゴ追歌」
  • シングル「お祭りマンボ」

・1953年(16歳):映画「お嬢さん社長」(主役・小原マドカ役)に出演

・1954年(17歳):多数の作品に出演

  • 映画「ひよどり草紙」(主役・玉木早苗役)
  • 映画「伊豆の踊子」(踊子・薫役)
  • 映画「七変化狸御殿」(主役・お花役)

・1954年(17歳):多数の歌をリリース

  • シングル「伊豆の踊り子」
  • アルバム「美空ひばりヒット・ソング集」
  • シングル「ひばりのマドロスさん」

・1955年(18歳):多数の作品に出演

  • 映画「たけくらべ」(主役・美登利役)
  • 映画「ジャンケン娘」(主役・阿佐見ルリ役)

・1955年(18歳):多数の歌をリリース

  • シングル「薔薇色の人生」
  • シングル「青葉の笛」

・1956年(19歳):ジャズバンド『小野満とスイング・ビーバーズ』の小野満さんと婚約・破棄

・1956年(19歳):多数の作品に出演

  • 映画「ロマンス娘」(ルミ子役)
  • 映画「ふり袖捕物帖 若衆変化」(お七/妙姫役)

・1956年(19歳):シングル「波止場だよ、お父つぁん」をリリース

幼少期から母親により歌唱力の高さを見出されていた美空ひばりさんは、1945年、8歳の頃に『美空和枝』の名で初舞台を踏みます。

9歳を迎えた1946年にNHKの「のど自慢素人音楽祭」に出場しますが、「上手いが子どもらしくない」という理由から、鐘を鳴らすことが叶いませんでした。

フクイくん

後に審査員の古賀政男さんに「もうのど自慢の段階ではない、すでに出来上がっている」と評価されるほど、当時から歌唱力が高かったのだとか。

芸名が『美空ひばり』になったのは、1947年10歳の時

この頃は劇場出演が中心でしたが、歌手で女優の笠置シヅ子さんとも共演し可愛がられるなど、若くして才能が光っていたようです。

12歳を迎えた1949年、美空ひばりさんは映画「踊る竜宮城」で主題歌「河童ブギウギ」を歌い、B面ながらも正式にレコードデビューを果たしました。

さらに同年の1949年、大ヒットした映画「悲しき口笛」で初主演を担い、同名の主題歌を歌ったことをきっかけに一躍有名になりました!

美空ひばりさんが15歳を迎えた1952年には、映画「リンゴ園の少女」で主演を担い、同名の主題歌と挿入歌「リンゴ追分」をリリース。

シングル「リンゴ園の少女/リンゴ追分」は、当時としては戦後最大の売り上げとなる70万枚を記録したのです!

1953年、16歳の頃には映画「お嬢さん社長」に出演し、美空ひばりさんは「お嬢」という愛称で親しまれるようになりました。

プライベートでは1956年(当時19歳)に、ジャズの手ほどきをしてくれたという小野満さんと婚約

しかし、「結婚したら女性は家に入るもの」という考えが色濃かった当時、美空ひばりさんを「国の宝」と考えていた小野満さんは

(美空ひばりさんを)引退させて自分が独占することはできない

と考え、ほどなく婚約を破棄しています。

フクイくん

美空ひばりさんと小野満さんは強い信頼関係で結ばれていたそうだよ

幼少期から10代の頃の美空ひばりさんは、数々の映画出演やヒット曲を生み出し、国民的大スターとして活躍していましたね!

20代の頃

ますます美人で可愛くなっていく20代の美空ひばりさん。

20代の頃の経歴を見てみましょう。

20代の美空ひばりさんの経歴まとめ

・1957年(20歳):多数の作品に出演

  • 映画「大当り三色娘」(根室エリ子役)
  • 映画「ひばりの三役 競艶雪之丞変化」(雪之丞/闇太郎/お園役)

・1957年(20歳):多数の歌をリリース

  • シングル「港町十三番地」
  • シングル「長崎の蝶々さん」

・1958年(21歳):芸能事務所『ひばりプロダクション』を設立し、『東映』と専属契約を結ぶ

・1958年(21歳):多数の作品に出演

  • 映画「ひばり捕物帖 かんざし小判」(阿部川町のお七/妙姫役)
  • 映画「希望の乙女」(主役・美原さゆり役)

・1958年(21歳):多数の歌をリリース

  • シングル「白いランチで十四ノット」
  • アルバム「ひばりのマドロスさん」
  • アルバム「ひばりの歌日記」
  • アルバム「ひばりの歌変化」

・1959年(22歳):多数の作品に出演

  • 映画「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」(おたか役)
  • 映画「紅だすき喧嘩状」(幸役)
  • 映画「べらんめえ芸者」(小春役)

・1959年(22歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「ひばりの歌絵巻」
  • アルバム「ひばりとマドロス」
  • アルバム「俺らの青春」
  • シングル「御存じ弁天小僧」

・1960年(23歳):多数の作品に出演

  • 映画「ひばり十八番 お嬢吉三」(お嬢吉三役)
  • 映画「ひばり捕物帖 折鶴駕籠」(お七/妙姫役)

・1960年(23歳):多数の歌をリリース

  • シングル「哀愁波止場」
  • アルバム「ひばりの花模様」
  • アルバム「ひばりの初恋マドロス」

・1961年(24歳):多数の作品に出演

  • 映画「白馬城の花嫁」(主役・お君役)
  • 映画「べらんめえ中乗りさん」(佐渡伸子役)

・1961年(24歳):多数の歌をリリース

  • シングル「ひばりのドドンパ」
  • アルバム「ひばりの哀愁波止場」
  • アルバム「この歌とともに」

・1962年(25歳):俳優・歌手の小林旭さんと結婚

・1962年(25歳):多数の作品に出演

  • 映画「千姫と秀頼」(千姫役)
  • 映画「三百六十五夜」(小牧蘭子役)
  • 映画「ひばりの佐渡情話」(主役・佐藤君江役)

・1962年(25歳):多数の歌をリリース

  • シングル「恋の曼珠沙華」
  • シングル「ひばりの佐渡情話」
  • アルバム「ひばりの渡り鳥だよ」
  • アルバム「花の都をあきらめて~ひばり哀愁をうたう~」
  • アルバム「永遠に幸あれ」

・1963年(26歳):映画「ひばり・チエミのおしどり千両傘」(主役・貴美姫役)に出演

・1963年(26歳):多数の歌をリリース

  • シングル「蘇州夜曲」
  • アルバム「ひばりとマドロスさん」
  • アルバム「美空ひばりの哀愁出船」

・1964年(27歳):小林旭さんと離婚

・1964年(27歳):映画「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」(主役・美川喜美枝役)に出演

・1964年(27歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「美空ひばりの花のステージ」
  • シングル「柔」

・1965年(28歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「美空ひばりの花のステージ 第2集」
  • シングル「影を慕いて」

・1966年(29歳):多数の歌をリリース

  • シングル「夾竹桃の咲く頃」
  • アルバム「美空ひばりの花のステージ 第3集」
  • シングル「悲しい酒」

10代ですでに国民的人気を得た美空ひばりさんですが、1957年1月13日、熱狂的なファンにより顔に塩酸をかけられる事件が起こります。

ショッキングな事件でしたが、幸いにも顔に傷などは残らず、1月29日には仕事に戻ったのだそうです。

フクイくん

あまりの人気に、過激なファンがついてしまっていたんだね…

21歳を迎えた1958年には芸能事務所『ひばりプロダクション』を立ち上げ、映画製作会社『東映』と映画出演の専属契約を結びました。

10代からすでに女優としても売れっ子だった美空ひばりさんですが、出演した東映作品はなんと102本にもおよぶのだとか!

フクイくん

東映作品での美空ひばりさんの共演者は、
・東千代之介さん
・高倉健さん
・里見浩太朗さん
など、名だたる俳優さんばかり!

1960年、23歳の頃には、シングル「哀愁波止場」で第2回レコード大賞 歌唱賞に輝き、美空ひばりさんは「歌謡界の女王」と呼ばれるようになりました。

1961年(当時24歳)には、第12回ブルーリボン賞 大衆賞を受賞しました。

長年に渡り多数の映画出演に貢献したこと、また圧倒的な人気を誇っていたことを称され、女優としても認められた美空ひばりさんは大喜びだったそうです。

フクイくん

当時は映画タイトルに「ひばり」と入っていただけで、安定して観客が入ったそうだよ。凄まじい人気だね!

プライベートでは1962年、美空ひばりさんが25歳の頃に、俳優・歌手の小林旭さんと結婚しました。

結婚したとはいえ、入籍はしていなかったため事実婚状態でした。

美空ひばりさんの実母を始めとする周囲の反対や、2人の結婚観の違いなどの理由から、2年後の1964年(当時27歳)には離婚しています。

フクイくん

美空ひばりさんは結婚しても歌に対する未練を断ち切ることができず、小林旭さんは本意ではなかったものの「理解離婚」に踏み切ったのだとか。

離婚直後にリリースしたシングル「柔」は、東京オリンピックで柔道が初めて正式競技に取り入れられたこともあり、180万枚の売り上げを誇る大ヒット

そして、第7回レコード大賞にも輝きました

20代の美空ひばりさんは、女優や歌手として輝かしい実績を残しながら、プライベートでは結婚や離婚も経験していましたね。

30代の頃

東映との契約を終了した美空ひばりさんは、映画の出演は控えて舞台や歌手としての活動に力を入れていきます。

30代を迎えた美空ひばりさんの経歴を見てみましょう。

30代の美空ひばりさんの経歴まとめ

・1967年(30歳):多数の歌をリリース

  • シングル「真赤な太陽」
  • シングル「芸道一代」
  • アルバム「歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念〜」

・1968年(31歳):多数の作品に出演

  • 舞台「平家物語・たまおり姫」
  • 舞台「’68歌声はひばりと共に」
  • 舞台「おさん茂平・恋ごよみ京の花嫁」

・1968年(31歳):多数の歌をリリース

  • シングル「むらさきの夜明け」
  • アルバム「歌は我が命 第2集」

・1969年(32歳):多数の作品に出演

  • 映画「ひばり・橋の花と喧嘩」(寺田夏子/寺田春子/笹川お辰役)
  • 舞台「開花の花嫁さん」
  • 舞台「’69歌声はひばりと共に」
  • 舞台「千姫」

・1969年(32歳):多数の歌をリリース

  • シングル「別れてもありがとう」
  • アルバム「歌は我が命 第3集」

・1970年(33歳):ブラジル公演を果たす

・1970年(33歳):多数の作品に出演

  • 映画「美空ひばり・森進一の花と涙と炎」(藤花霞役)
  • 映画「花の不死鳥」(瀬戸香役)

・1970年(33歳):多数の歌をリリース

  • シングル「花と炎」
  • シングル「人生将棋」
  • アルバム「歌は我が命 第4集」

・1971年(34歳):多数の作品に出演

  • 映画「ひばりのすべて」
  • 舞台「恋の隅田川」
  • 舞台「’71歌声はひばりと共に」

・1971年(34歳):多数の歌をリリース

  • シングル「それでも私は生きている」
  • シングル「旅人」
  • アルバム「歌は我が命 第5集」

・1972年(35歳):多数の歌をリリース

  • シングル「ひばり仁義」
  • アルバム「母が小さくなった時~歌は我が命 第6集」
  • シングル「ある女の詩」

・1973年(36歳):アメリカ公演を果たす

・1973年(36歳):アルバム「ふるさと〜歌は我が命 第7集」をリリース

・1974年(37歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「涙~歌は我が命 第8集」
  • シングル「一本の鉛筆」

・1975年(38歳):多数の作品に出演

  • 舞台「御存じひばりの弁天小僧」
  • 舞台「歌は我が命」

・1975年(38歳):多数の歌をリリース

  • シングル「月の夜汽車」
  • アルバム「ひとりぼっち~歌は我が命 第9集」
  • アルバム「私と影~歌は我が命 第10集」

・1976年(39歳):多数の歌をリリース

  • シングル「白い勲章」
  • シングル「さくらの唄」
  • シングル「あやとり」

30歳を迎えた1967年、シングル「真赤な太陽」をリリースした美空ひばりさん。

「真赤な太陽」はポップス調の曲調とミニスカートの衣装が当時大きな話題となり、140万枚の売り上げを記録しています。

フクイくん

30歳になって新たな挑戦をしたんだね~!

美空ひばりさんは30代に入ってから、新宿コマ劇場や梅田コマ劇場などの舞台で活躍するようになりました。

1969年(当時32歳)には、新宿コマ劇場で「’69歌声はひばりと共に」などに出演。

1970年、33歳の頃には活躍の場を世界に広げ、ブラジルのサンパウロ公演(3日間)で5万人の観客を動員しました!

フクイくん

オーケストラメンバーは現地の人で構成されたそうだけど、美空ひばりさんの歌は大絶賛されていたんだって~!

38歳を迎えた1975年には、シンガーソングライターの岡林信康さんが作詞・作曲を担ったシングル「月の夜汽車」をリリース。

1970年から1980年頃までの歌は大きなヒットには繋がらなかったものの、「月の夜汽車」のように様々なシンガーソングライターとのコラボが行われていました。

30代の美空ひばりさんは、舞台や世界の場にも活躍の場を広げていましたね!

40代~50代の頃

40代~50代の美空ひばりさんはどんな経歴だったのでしょうか?

40代~50代の美空ひばりさんの経歴まとめ

・1977年(40歳):加藤和也さんを養子に迎える

・1977年(40歳):シングル「なつかしい場面」をリリース

・1979年(42歳):多数の歌をリリース

  • シングル「最後の一本」
  • シングル「風酒場」

・1980年(43歳):多数の歌をリリース

  • シングル「おまえに惚れた」
  • シングル「別れの宿」

・1981年(44歳):実母・加藤喜美枝さんが死去

・1981年(44歳):多数の歌をリリース

  • シングル「恋女房」
  • シングル「剣ひとすじ」
  • シングル「人恋酒」

・1982年(45歳):シングル「裏町酒場」をリリース

・1983年(46歳):多数の歌をリリース

  • シングル「花のいのち」
  • アルバム「残侠子守唄」

・1984年(47歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「水仙の詩〜美空ひばり ポップスを唄う〜」
  • シングル「冬のくちびる」

・1985年(48歳):多数の歌をリリース

  • シングル「夢ひとり」
  • シングル「しのぶ」

・1986年(49歳):多数の歌をリリース

  • シングル「愛燦燦」
  • アルバム「旅ひととせ」

・1987年(50歳):多数の歌をリリース

  • シングル「好きなのさ」
  • シングル「みだれ髪」

・1988年(51歳):多数の歌をリリース

  • アルバム「不死鳥」
  • アルバム「川の流れのように~不死鳥パートII」

・1989年(51歳):シングル「川の流れのように」をリリース

・1989年(52歳):間質性肺炎のため死去

美空ひばりさんが40歳を迎えた1977年、甥であった当時7歳の加藤和也さんを養子に迎えました

フクイくん

実子がいなかった美空ひばりさんは、加藤和也さんを溺愛していたそうだよ。

1980年、43歳になった美空ひばりさんはシングル「おまえに惚れた」をリリース。

カラオケ初心者でも歌える曲として発表された「おまえに惚れた」は14万枚を売り上げ、久々にヒットしました。

フクイくん

若い頃も可愛いけど、40代になってオトナの魅力が増した美空ひばりさんもすごく素敵!

プライベートでは1981年(当時44歳)に、美空ひばりさんをデビュー時から側で支え、「一卵性母娘」と言われるほど二人三脚で歩んできた実母の加藤喜美枝さんが脳腫瘍でご逝去されました。

フクイくん

この頃、肉親や親友が立て続けに亡くなり大きなショックを受けた美空ひばりさんは、お酒やタバコの量が日に日に増えていったのだそう…

1986年、歌手として40周年を迎え49歳になった美空ひばりさんは、シングル「愛燦燦」をリリース。

当時は売り上げが振るわなかったものの、その後ロングヒットとなり、今では多くの歌手にカバーされている美空ひばりさんの代表曲のひとつでもあります。

1988年、51歳の時にアルバム「不死鳥」をリリースし、後に伝説となる「不死鳥コンサート」を開催しました。

すでに病に蝕まれ、立っているのも辛いほどの状況だったという美空ひばりさん。

しかし、ステージ上ではそんな様子はおくびにも出さず、ファンに笑顔を見せていたそうです。

フクイくん

楽屋はまるで病室のようだったのだとか…まさに命を削ったコンサート!

そして1989年、生涯最後のシングルとなる「川の流れのように」をリリースします。

「川の流れのように」は美空ひばりさんたっての強い希望がありシングル化されました。

フクイくん

美空ひばりさんは「川の流れのように」を人生の歌と表現していたんだって!

病魔に侵されながらも最後まで舞台に立ち歌い続けた美空ひばりさんですが、残念ながら1989年6月24日、間質性肺炎の悪化による呼吸不全のためお亡くなりになりました

美空ひばりの若い頃(昔)と晩年を画像で比較!

美空ひばりさんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と晩年の美空ひばりさんは変わっているのでしょうか?

昔の美空ひばりさんと晩年の美空ひばりさんを画像比較してみましょう。

若い頃も晩年も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!

フクイくん

美しすぎて惚れ惚れしちゃう

メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず美しい美空ひばりさんですね!

美空ひばりの若い頃(昔)の髪型は?

美空ひばりさんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は黒髪のボブやショートヘア

前髪も含めて髪を巻いているスタイルが定番だったようです。

フクイくん

若い頃の髪型もすごく可愛い!

そして、晩年は前髪をアップし、後ろ髪をコンパクトにまとめたヘアスタイル

いろんな髪型を経験してきた美空ひばりさんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた美空ひばりさん。

これからも多くのファンの心に残り、愛され続けていくことでしょう。

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