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【画像】小田和正の若い頃がイケメン!ビートたけしに似てる!昔から現在までを時系列で比較


歌手として幅広く活躍している小田和正さん。

その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!

若い頃にどんな歌をリリースし、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

さらに、ビートたけしさんに似てるという声も。

そこで今回は、

  • 小田和正さんの若い頃のイケメン画像
  • 若い頃の歌や経歴
  • 若い頃と現在の髪型比較
  • 若い頃がビートたけしに似てる

についてまとめました!

目次

【画像】小田和正の若い頃(昔)がイケメンすぎ!

歌手として多くのファンを魅了してきた小田和正さん。

その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!

フクイくん

今もイケメンだけど!

早速、小田和正さんの若い頃の画像を見てみましょう。

イケメン!爽やかすぎる!

笑顔が素敵です。

小田和正さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!

小田和正の若い頃(昔)の歌や経歴を時系列でまとめ!

美しく澄んだ歌声で様々な人の心を癒し、幅広い層から親しまれている小田和正さん。

若い頃からイケメンな小田和正さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!

20代の頃

小田和正さんは、こんな20代を過ごしています。

20代の小田和正さんの経歴まとめ

・1969年(22歳):フォークグループ『the off? Course』を結成する

・1970年(23歳):グループ名を『ジ・オフ・コース』に改め、シングル「群衆の中で」でデビュー

・1971年(24歳):シングル「夜明けを告げに」をリリース

・1972年(25歳):グループ名を『オフ・コース』に改め、シングル「おさらば」をリリース

・1973年(26歳):アルバム「僕の贈りもの」をリリース

・1974年(27歳):多数の歌をリリース

  • シングル「忘れ雪」
  • アルバム「この道をゆけば」

・1975年(28歳):多数の歌をリリース

  • シングル「眠れぬ夜」
  • アルバム「ワインの匂い」

・1976年(29歳):多数の歌をリリース

  • シングル「ひとりで生きてゆければ」
  • アルバム「SONG IS LOVE」

小田和正さんは高校生の頃から、同級生と共に結成したフォークグループ『the off? Course』として音楽活動を行っていました。

大学進学後も同じメンバーで音楽活動を続け、小田和正さん属する『the off? Course』は1969年(当時22歳)に出場した「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で2位を獲得したことをきっかけにプロを目指します

フクイくん

小田和正さんとしては若い頃から続けていたアマチュアの音楽活動にけじめをつけるために出たコンテストだったみたい!

小田和正さんは、1970年23歳の時に『ジ・オフ・コース』としてシングル「群衆の中で」でプロデビュー

しかしデビュー後はなかなか売れず、ライブ中に「帰れ」コールが起きるなどひどい野次を飛ばされることもあったのだとか。

その頃のことを小田和正さんは

全然上手くいっていなかった。つらいという気持ちはなかったけど、「もっと音楽を一生懸命やらなくちゃ」と思っていた。

と語っていました。

フクイくん

小田和正さんは若い頃、なかなか売れず苦しい思いもしていたんだね。前向きな小田和正さんが素敵!

そんな小田和正さんが属する『オフ・コース』の転機が訪れたのは、1975年28歳の時。

約4.6万枚の売り上げを記録したシングル「眠れぬ夜」でした。

「眠れぬ夜」は1980年に西城秀樹さんにもカバーされ、2016年には小田和正さん自身もセルフカバーするなど、ファンの中でも名曲となっています。

30代の頃

30代の小田和正さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。

30代の小田和正さんの経歴まとめ

・1977年(30歳):グループ名を『オフコース』に改め、多数の歌をリリース

  • シングル「ロンド」
  • アルバム「JUNKTION」

・1978年(31歳):アルバム「FAIRWAY」をリリース

・1979年(32歳):多数の歌をリリース

  • シングル「愛を止めないで」
  • シングル「さよなら」
  • アルバム「Three and Two」

・1980年(33歳):多数の歌をリリース

  • シングル「Yes-No」
  • アルバム「We are」

・1981年(34歳):多数の歌をリリース

  • シングル「I LOVE YOU」
  • シングル「愛の中で」
  • アルバム「over」

・1982年(35歳):日本武道館で10日連続公演を実施

・1982年(35歳):多数の歌をリリース

  • シングル「言葉にできない」
  • シングル「YES-YES-YES」
  • アルバム「I LOVE YOU」
  • アルバム「NEXT SOUND TRACK」

・1983年(35歳):一般人女性と結婚

・1984年(37歳):多数の歌をリリース

  • シングル「君が、嘘を、ついた」
  • シングル「夏の日」
  • シングル「緑の日々」

・1985年(38歳):多数の歌をリリース

  • シングル「call」
  • シングル「たそがれ」
  • シングル「夏から夏まで」

・1986年(39歳):多数の歌をリリース

  • ソロシングル「1985」
  • ソロアルバム「K.ODA」

『オフコース』としての知名度を一気に上げるきっかけになった歌が、小田和正さんが32歳を迎えた1979年にリリースしたシングル「さよなら」です。

「さよなら」の作詞・作曲を手掛けた小田和正さんは、

今まで以上に売れることを強く意識して書いた

とインタビューなどで公言しています。

フクイくん

小田和正さんにとって、きっと思い入れの深い一曲だね~

1982年(当時35歳)には、『オフコース』として「言葉にできない」や「YES-YES-YES」などの名曲を次々と生み出していった小田和正さん。

そして同年1982年、『オフコース』は日本武道館連続10日間公演を行い、日本ライブ史上に残る衝撃を呼びました!

フクイくん

当時は国内外で、「日本最高のライブ会場」と言われていた武道館。『オフコース』の人気の高さがよくわかるね!

そんな小田和正さんですが、プライベートでは1983年35歳の時に、6歳下の一般人女性と結婚しています。

小田和正さんと奥さんは、なんと10年もの交際歴を経て結婚したのだとか。

フクイくん

小田和正さんにお子さんはいないけれど、奥さんとは今も仲良しなんだって~

1986年(当時39歳)には、小田和正さんは初のソロシングル「1985」とソロアルバム「K.ODA」をリリース。

1986年は『オフコース』のメンバーそれぞれがソロ活動を行っていた時期だったそうで、小田和正さんは単身渡米して「K.ODA」の制作にあたったのだそうですよ!

40代の頃

40代の小田和正さんの経歴も見てみましょう。

40代の小田和正さんの経歴まとめ

・1987年(40歳):多数の歌をリリース

  • シングル「IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)」
  • シングル「もっと近くに」

・1988年(41歳):多数の歌をリリース

  • シングル「君住む街へ」
  • アルバム「Still a long way to go」

・1989年(42歳):『オフコース』を解散し、ソロシングル「Little Tokyo」をリリース

・1990年(43歳):多数の歌をリリース

  • シングル「恋は大騒ぎ」
  • アルバム「Far East Café」

・1991年(44歳):シングル「Oh!Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」がミリオンヒット

・1992年(45歳):多数の歌をリリース

  • シングル「いつか どこかで」
  • シングル「そのままの君が好き」

・1992年(45歳):映画「いつか どこかで」の監督を務める

・1993年(46歳):多数の歌をリリース

  • シングル「風の坂道」
  • アルバム「MY HOME TOWN」

・1994年(47歳):シングル「真夏の恋」をリリース

・1995年(48歳):シングル「so long my love」をリリース

・1996年(49歳):セルフカバーアルバム「LOOKING BACK」をリリース

1989年(当時42歳)に『オフコース』を解散し、ソロ活動を本格化した小田和正さん。

同年にリリースしたシングル「Little Tokyo」は、小田和正さんが出演するネスカフェ・新ゴールドブレンドのCMに起用されました!

フクイくん

ネスカフェのCM出演を機に、小田和正さんはテレビ出演を増やしていくことになったよ。

1991年、44歳の時に小田和正さんがリリースした「ラブ・ストーリーは突然に」は、月9ドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌となり、注目を浴びました。

その結果、「ラブ・ストーリーは突然に」はなんと258.8万枚の売上を誇り、小田和正さんは自身初のミリオンセラーを記録しています。

フクイくん

社会現象にもなったドラマの主題歌だけど、小田和正さんが身体を大きく反らせたこのCDジャケットも有名だよね!

50代の頃

50代の小田和正さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?

50代の小田和正さんの経歴まとめ

・1997年(50歳):シングル「伝えたいことがあるんだ」をリリース

・1997年(50歳):映画「緑の街で」の監督を務める

・1998年(51歳):交通事故で重傷を負う

・1999年(52歳):シングル「こんな日だったね」をリリース

・2000年(53歳):多数の歌をリリース

  • シングル「woh woh」
  • アルバム「個人主義」

・2001年(54歳):多数の歌をリリース

  • シングル「風の街」
  • セルフカバーアルバム「LOOKING BACK2」

・2002年(55歳):多数の歌をリリース

  • シングル「キラキラ」
  • ベストアルバム「自己ベスト」

・2004年(57歳):シングル「真っ白」をリリース

・2005年(58歳):多数の歌をリリース

  • シングル「たしかなこと」
  • アルバム「そうかな 相対性の彼方」

小田和正さんは1998年(当時51歳)、交通事故で絶対安静が必要とされるほどの重傷を負いました。

ファンから「生きてくれていただけでよかった」という手紙を多く受け取った小田和正さんはファンへの想いが強くなり、もっと楽しんでもらえるように、とコンサートに「花道」を設置するようになったのだそうです。

フクイくん

7月に交通事故に遭った小田和正さんだけど、同年9月には完治していない身体でコンサートに復帰したんだって!

55歳を迎えた2002年には、小田和正さんはドラマ「恋ノチカラ」の主題歌となるシングル「キラキラ」をリリースし、オリコントップ3入りを果たしました。

さらに同年2002年、小田和正さんはベストアルバム「自己ベスト」をリリース。

「自己ベスト」はなんと8年半にわたるロングヒットを記録し、2010年時点で300万枚の出荷枚数を誇りました!

フクイくん

歴史に残るほどのヒットを叩き出した小田和正さん。いろんな意味で「自己ベスト」を更新したんだね~

小田和正さんは、2005年(当時58歳)にシングル「たしかなこと」をリリースしました。

フクイくん

「たしかなこと」は多くのアーティストにカバーされている人気の歌!明治安田生命のCMをイメージする人も多いんじゃないかな?

小田和正の若い頃(昔)の髪型は?

小田和正さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

小田和正さんは20代の若い頃、肩のあたりまで髪を伸ばしていたようです。

フクイくん

若い頃の髪型も素敵!似合う!

そして、現在はすっきりとした短髪

様々な髪型を経験してきた小田和正さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

小田和正の若い頃(昔)がビートたけしに似てる!

小田和正さんの若い頃について調べていると、ビートたけしさんにとてもよく似ているんです!

フクイくん

確かに雰囲気は似てる気がする

小田和正さんの若い頃とビートたけしさんを画像比較してみましょう。

フクイくん

似てるー!

  • シャープな目元
  • 筋の通った鼻

など、若い頃の小田和正さんとビートたけしさんはとてもよく似ていますね。

若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた小田和正さん。

これからも応援しています!

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