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【画像】西城秀樹の若い頃がかっこいい!昔の作品や経歴を時系列まとめ!


歌手として幅広く活躍していた西城秀樹さん。

その若い頃の姿がかっこよすぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな作品を残し、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • 西城秀樹さんの若い頃のかっこいい画像
  • 若い頃の作品や経歴
  • 若い頃と晩年の比較画像
  • 若い頃と晩年の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】西城秀樹の若い頃(昔)がかっこよすぎ!

歌手として多くのファンを魅了してきた西城秀樹さん。

長らく脳梗塞で闘病生活でしたが、2018年、63歳の時に心不全が原因で、惜しまれながらお亡くなりになられました。

その若い頃がかっこよすぎると話題なんです!

フクイくん

若い頃からずっとワイルドでかっこいいイメージだけど!

早速、西城秀樹さんの若い頃の画像を見てみましょう。

かっこいい!爽やかすぎる!

見つめられるとドキドキします。

西城秀樹さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!

西城秀樹の若い頃(昔)の作品や経歴を時系列でまとめ!

若い頃からかっこいい西城秀樹さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!

10代の頃

西城秀樹さんは、こんな10代を過ごしています。

10代の西城秀樹さんの経歴まとめ

・1972年(17歳):『恋する季節』で歌手デビュー

・1972年(17歳):ファーストコンサート『ワイルドな17才』を開催

・1973年(18歳):デビュー1周年記念コンサート『ヒデキ・オン・ステージ』を開催

・1973年(18歳):『情熱の嵐』がオリコン週間チャートで初のベストテン入り

・1973年(18歳):『ちぎれた愛』で初のオリコン1位を獲得

・1973年(18歳):『愛の十字架』で連続してオリコン1位を獲得

・1973年(18歳):ハウス バーモントカレーのテレビ広告開始

・1974年(19歳):テレビドラマ『寺内貫太郎一家』に出演

・1974年(19歳):『激しい恋』でオリコン年間チャートの第8位を獲得

・1974年(19歳):『傷だらけのローラ』でポップス歌手としては史上初の2年連続日本レコード大賞 歌唱賞を受賞

父の影響で幼少期から洋楽に馴染みのあった西城秀樹さんは、中学の文化祭でドラムを演奏したり、高校生の頃はバンド演奏のアルバイトをしていました。

高校生1年生の時にスカウトされましたが、父に芸能界入りを猛反対され、家出同然で上京することに。

都内の定時制高校に通いながら、マネージャーと2人で3畳もない納戸で生活し、1972年17歳の時に『恋する季節』で歌手デビューとなりました!

西城秀樹さんは、郷ひろみさん・野口五郎さんの3人で”新御三家”として売り出されました。

  • 郷ひろみさんは「歌って踊れる美少年」
  • 野口五郎さんは「演歌界のホープ」
  • 西城秀樹さんは「情熱的でセクシーな、男性的魅力」

をコンセプトとして、三者三様のスタイルで1970年代のトップアイドルとして活躍したのです。

フクイくん

”新御三家”の活躍が「歌謡曲の新時代」を創っていったんだな~

1973年に6枚目のシングルとしてリリースされた『ちぎれた愛』では、西城秀樹さんのコンセプトにぴったりな情熱的でストレートな歌詞で、初のオリコン1位を獲得!

長身の西城秀樹さんが、全身全霊を込めて喉が張り裂けるように歌う歌唱法は、「絶唱型」や「絶叫型」と言われたそうです。

1974年に放送された『寺内貫太郎一家』でドラマ初出演となった西城秀樹さん。

祖母役の悠木千帆さん(後の樹木希林さん)とのお決まりの掛け合いや、父親役の小林亜星さんとの喧嘩のシーンが話題となりました。

小林亜星さんとの大喧嘩のシーンでは実際に腕を骨折して入院していた時もあったそうです!

20代の頃

20代の西城秀樹さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。

20代の西城秀樹さんの経歴まとめ

・1975年(20歳):ドラマ『あこがれ共同隊』に出演

・1975年(20歳):映画『おれの行く道』で主演

・1975年(20歳):『全国横断コンサートツアー』を開催

・1976年(21歳):『ジャガー』で東京音楽祭 世界大会に出場

・1976年(21歳):初のディナーショーを開催

・1977年(22歳):『わが青春の北壁』でミュージカル初主演

・1978年(23歳):『炎』で東京音楽祭 世界大会に出場

・1979年(24歳):『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』が200万枚のセールスを記録し大ヒット

・1980年(25歳):アニメ『坊ちゃん』で声優に初挑戦

・1981年(26歳):情報番組『モーニングサラダ』で司会を務める(~1985年)

・1981年(26歳):亜細亜テレビの香港音楽祭にスペシャルゲストとして出演、アジア進出となる

・1983年(28歳):独立し、「有限会社アースコーポレーション」を設立

・1984年(29歳):アニメーション映画『黒い雨にうたれて』で主演声優を務める

1975年、『傷だらけのローラ』で、第12回ゴールデン・アロー賞 グラフ賞を受賞

大ヒットした『傷だらけのローラ』は海外進出もしており、フランス語バージョン「LOLA」が、フランス、スイス、ベルギー、カナダでもリリースされました。

この曲は、この年の第4回東京音楽祭の国内大会でも披露しています。

1979年リリースの『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、アメリカでヒットしたヴィレッジ・ピープルの原曲「Y.M.C.A.」を渡米した際に知った西城秀樹さんがカバーした曲です。

当初はスタッフが反対した為にリリース予定はなかったものの、1979年に開催した新春コンサートで披露するとリクエストが殺到し、急遽新曲としてレコーディングしました。

売上げ180.8万枚という大ヒットとなり、

  • 第10回歌謡大賞
  • 第8回FNS歌謡祭
  • 第5回日本テレビ音楽祭
  • ’79あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭

でいずれもグランプリを獲得しました!

フクイくん

『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』をリリースしたのは20代だったのか!

1981年に開始した朝の情報番組『モーニングサラダ』では初めてメイン司会を務めた西城秀樹さん。

レギュラー陣の中には新人時代のとんねるずもいたそうです!

1981年亜細亜テレビの『香港音楽祭』にスペシャルゲストとして出演し、出演後に西城秀樹さんへの問い合わせが殺到しました。

それもそのはず、番組は視聴率90%を超えていたそうですよ。

そして同年1981年に初の香港コンサートを実現、翌日の新聞の見出しは"天皇巨星(超スーパースター)"と表記され、「最もセクシーな歌手」として香港デビューを果たしたのでした。

30代の頃

30代の西城秀樹さんの経歴も見てみましょう。

30代の西城秀樹さんの経歴まとめ

・1985年(30歳):つくば万博の開会式で『一万光年の愛』を歌唱

・1986年(31歳):映画『傷だらけの勲章』で主演

・1988年(33歳):ソウルオリンピック前夜祭で『傷だらけのローラ』を歌唱

・1989年(34歳):ミュージカル『坂本龍馬』で主演

・1991年(36歳):アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『走れ正直者』を担当

・1991年(36歳):デビュー20周年記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD』を開催

・1992年(37歳):時代劇『徳川無頼帳』に出演

・1994年(39歳):ミュージカル『ラヴ』で主演

1985年にリリースした『一万光年の愛』がシングル50枚目となった西城秀樹さん。

この曲は同年に開催されたつくば万博で開会式のテーマソングに選ばれ、当時の皇太子明仁親王(現・上皇)と文仁親王(現・秋篠宮文仁親王)の臨席上で歌唱しました!

1989歳にはミュージカル『坂本龍馬』で主演、そして座長も務めた西城秀樹さん。

このミュージカルは以降3年続きました。

それにしても、坂本龍馬さん役がとても似合っていますよね!

フクイくん

歌手以外にも活躍の幅を広げて、ますます魅力的になっていくなぁ~

1991年リリースの『走れ正直者』はアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマに起用されました!

『ちびまる子ちゃん』の原作者であるさくらももこさんが西城秀樹さんの大ファンで、アニメの中でもまる子の姉が同じように西城秀樹さんのファンという設定であり、それがきっかけで実現したのです。

この曲はスカという音楽ジャンルですが、日本で最初にスカでヒットした曲としても知られています。

1991年はデビュー20周年という記念すべき年でもあり、記念コンサートとして『HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD』を開催しました!

40代の頃

40代の西城秀樹さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?

40代の西城秀樹さんの経歴まとめ

・1995年(40歳):阪神大震災でチャリティー募金を行う

・1995年(40歳):サザンオールスターズのコンサートにゲスト出演

・1998年(43歳):音楽番組『青春のポップス』の司会を務める(~2002年)

・1998年(43歳):日中友好条約締結20周年のイベントとして万里の長城でコンサートを開催

・2000年(45歳):80曲記念コンサート『Bailamos 2000』を開催

・2000年(45歳):第12回日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞

・2001年(46歳):会社員の一般女性と結婚

・2001年(46歳):最初の脳梗塞を発症

・2002年(47歳):第1子(女児)が誕生

・2003年(48歳):第2子(男児)が誕生

・2003年(48歳):公演先の韓国で2度目の脳梗塞を発症

・2004年(49歳):NHKミュージック・イン・ドラマ『ホシに願いを』に出演

・2004年(49歳):著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』を出版

1995年1月に阪神淡路大震災が発生し、被災した人の為に数度、兵庫県神戸市に足を運んでチャリティー募金を行った西城秀樹さん。

神戸市民からの強い要望もあり、この年の『第46回NHK紅白歌合戦』から2年連続で「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌唱しました!

1998年から2002年まで、音楽番組『青春のポップス』の司会も務めています。

視聴者からのリクエストを元に、1960年代以降にヒットしたポピュラーミュージックを和洋問わず取り上げ、ゲスト歌手が歌唱していましたが、西城秀樹さん自身が歌うことも多かったようです。

1998年、日中友好条約締結20周年のイベントとして、中国文化遺産の万里の長城で外国人歌手として初めての野外コンサートを開催した西城秀樹さん。

この年はアジアツアーや、『moment』の北京語バージョンを含むベストアルバム『瞬間』を発売する等、海外での活動も精力的に行っていました。

フクイくん

司会やアジア各国での活動等を通じて、更にファンが増えていっただろうなぁ~!

2001年、46歳で結婚

お相手は、18歳年下の一般女性・美紀さんです。

翌年2002年には第1子となる長女が誕生、更に2003年には第2子・長男が誕生しました。

私生活での幸せを手にしたのも束の間、2001年秋に最初の脳梗塞を発症してしまった西城秀樹さん。

2003年には2度目の脳梗塞を、公演先の韓国で発症。

軽度の言語障害が残りましたが、闘病の末復帰し、テレビ出演や、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』を発売する等再び表舞台で活躍しました。

50代の頃

50代の西城秀樹さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?

50代の西城秀樹さんの経歴まとめ

・2005年(50歳):第3子(男児)が誕生

・2006年(51歳):3年ぶりのシングル『めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜』をリリース

・2008年(53歳):コンサート『思い出の青春ポップス』を開催

・2009年(54歳):NHK朝の連続ドラマ『つばさ』に出演

・2009年(54歳):『趣味の園芸 やさいの時間』にレギュラー出演、主題歌も担当

・2011年(56歳):ミュージカル『マルグリット』に出演

・2011年(56歳):デビュー40周年記念コンサートを開催

・2011年(56歳):脳梗塞の再発が判明し、入院治療

・2012年(57歳):著書『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』を出版

・2013年(58歳):料理・紀行番組『ぐるっと食の旅 キッチンがゆく』にレギュラー出演

2005年、50歳の時に第3子となる次男が誕生しました。

結婚が遅かった西城秀樹さんですが子宝に恵まれ、休日には軽井沢に家族旅行へ出かけたりしたそうです。

脳梗塞を患ってから闘病やリハビリを頑張れていたのもご家族の支えのおかげかもしれませんね!

2006年9月には、3年ぶりとなるシングル『めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜』をリリースしました。

2009年は、NHK朝の連続テレビ小説『つばさ』に出演。

フクイくん

病気を発症してからも歌手や俳優として活躍していたんだな~!

2009年からは、『趣味の園芸 やさいの時間』にレギュラー出演し、主題歌「ベジタブル・ワンダフル」も担当しました。

2011年、脳梗塞の再発が判明し、入院治療となった西城秀樹さん。

翌年2012年に著書『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』を出版しました。

この中で、

つらいとき、不安なときは、だれかにそれを話せば楽になる。専門家に相談すれば一気に解決することだってある。幸いわが家には、聞き上手な妻もいる。要は、ぼくのほうからありのまま人と接し、ありのまま生きていけばいいんだ。飾らず、隠さず、気どらず、そのままの自分でい続けることが一番かっこいい、と今の僕は思っている

と語っています。

ありのまま生きた西城秀樹さん、かっこいいですね!

そして、2018年4月に行われたコンサートに出演したわずか6日後に自宅で倒れ、入院。

3週間闘病を続けましたが、急性心不全の為、63歳でお亡くなりになりました。

西城秀樹の若い頃(昔)と晩年を画像で比較!

西城秀樹さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と晩年の西城秀樹さんは変わっているのでしょうか?

昔の西城秀樹さんと晩年の西城秀樹さんを画像比較してみましょう。

若い頃も晩年も、なんてかっこいいのでしょうか!

フクイくん

かっこよすぎて惚れ惚れしちゃう

もちろん歳を重ねた感じはありますが、肌ツヤもよく笑顔もとっても素敵です。

年月とともにどんどん西城秀樹さんの魅力が増していて、かっこよすぎですね!

西城秀樹の若い頃(昔)の髪型は?

西城秀樹さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型はロン毛です!

この髪型こそが”THE・昭和のアイドル”という感じですね。

顔が小さく手足が長い西城秀樹さんにとても似合っています!

フクイくん

若い頃の髪型も素敵!似合う!

そして、晩年は白髪混じりのミディアムヘア

若い頃は黒髪でしたが、40代以降は明るめのカラーに染めていることが多かったようです。

様々な髪型を経験してきた西城秀樹さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた西城秀樹さん。

とてもかっこいい人生を歩んだことがわかりました!

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