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【画像】松原智恵子の若い頃が可愛すぎ!昔の出演作品や経歴を時系列まとめ!


歌手や女優として幅広く活躍している松原智恵子さん。

その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

・松原智恵子さんの若い頃の可愛い画像
・若い頃の出演作品や経歴
・若い頃と現在の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】松原智恵子の若い頃(昔)が可愛すぎ!

女優として多くのファンを魅了してきた松原智恵子さん。

その若い頃が可愛すぎると話題なんです!

早速、松原智恵子さんの若い頃の画像を見てみましょう。

可愛い!正統派美人!

面影を感じます。

松原智恵子さん、若い頃から品があって素敵ですね!

松原智恵子の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!

若い頃から可愛い松原智恵子さんですが、昔の出演作品や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!

10代の頃

松原智恵子さんは、こんな10代を過ごしています。

10代の松原智恵子さんの経歴まとめ

・1960年(15歳):日活主催の”ミス16歳コンテスト”で入賞

・1961年(16歳):映画「夜の挑戦者」の端役でデビュー

・1961年(16歳):映画「明日に向って突っ走れ」(石塚友子役)に出演

・1961年(16歳):映画「大当たり百発百中」(及川美知子役)に出演

・1962年(17歳):映画「望郷の海」(せつ子役)に出演

・1964年(19歳):映画「俺たちの血が許さない」(郷田ヤス子役)に出演

松原智恵子さんは1960年、日活主催の”ミス16歳コンテスト”での入賞がきっかけでスカウトされ、映画「夜の挑戦者」への端役での出演で映画デビューを果たしました。

そんなワンシーンのみの出演から3か月も経たないうちに、なんと映画のヒロインに抜擢されることに。

映画「明日に向って突っ走れ」や映画「大当たり百発百中」など数々の日活作品でヒロイン役を務めています。

フクイくん

当時の映画は2本立てだったのもあって、多い年では年間14本もの作品に出演することもあったんだって!

順調に出演作も増え、瞬く間に人気女優の仲間入りを果たした松原智恵子さん。

1960年代には、和泉雅子さん、吉永小百合さんと共に”日活三人娘”と呼ばれ、絶大な人気を誇りました

ブロマイドの売上も女優部門のトップを争うほどで、日活全盛期を代表する女優の一人と言えるでしょう。

20代の頃

20代の頃の経歴を見てみましょう。

20代の松原智恵子さんの経歴まとめ

・1965年(20歳):映画「あばれ騎士道」(ゆかり役)に出演

・1966年(21歳):映画「俺にさわると危ないぜ」(沢之内ヨリ子役)に出演

・1966年(21歳):テレビドラマ「山のかなたに」(主演:井上美佐子役)に出演

・1967年(22歳):テレビドラマ「ある日わたしは」(主演:城山ゆり子役)に出演

・1967年(22歳):「泣いてもいいかしら」をリリースし、歌手デビュー

・1968年(23歳):テレビドラマ「若い川の流れ」(主演:北岡みさ子役)に出演

・1969年(24歳):映画「恋のつむじ風」(主演:松山アカネ役)に出演

・1972年(27歳):ジャーナリストの黒木純一郎さんと結婚

・1974年(29歳):舞台「放浪記」(悠起役)に出演

20代を迎えた松原智恵子さんは、映画だけでなくテレビドラマにも出演し、活躍の場を広げていきます。

テレビドラマ「山のかなたに」や「若い川の流れ」では主演を務め、1971年に日活が一般映画の製作を中断すると、テレビドラマに主軸を移して活動するようになりました。

1967年には、「泣いてもいいかしら」で歌手デビューも果たしています。

1967年と言えば、主演を務めるテレビドラマ「ある日わたしは」が人気を博し、ブロマイドの売上は吉永小百合さんをぬいて女優部門のトップになった年

松原智恵子さんの、人気絶頂の年だったと言えるでしょう。

フクイくん

松原智恵子さんが歌手デビューしたのは、20代の頃だったんだ!

1972年、日活を離れて1年が経った頃、松原智恵子さんが27歳の時にジャーナリストの黒木純一郎さんと結婚しました。

日活時代、取材に来ていた黒木純一郎さんと出会い、仕事の依頼を受けるうちに親しくなったのだそうで、3年間の交際期間を経ての結婚となりました。

しかし結婚までの道のりは厳しく、仕事仲間や母親など、周囲の人からは結婚を猛反対されていたそうです。

交際期間中にたくさんのお見合い話もありましたが、そんなものには目もくれず、自分たちの意思を貫く形での結婚となりました。

30代の頃

30代を迎えた松原智恵子さんの経歴を見てみましょう。

30代の松原智恵子さんの経歴まとめ

・1975年(30歳):大河ドラマ「元禄太平記」(弁子役)に出演

・1976年(31歳):映画「太陽は泣かない」(中原信子役)に出演

・1979年(34歳):テレビドラマ「女たちの忠臣蔵~命燃ゆる時~」(きく役)に出演

・1980年(35歳):テレビドラマ「松本清張の地の骨」(楢沢來子役)に出演

・1982年(37歳):テレビドラマ「松本清張の事故」(山西勝子役)に出演

・1983年(38歳):テレビドラマ「ザ・サスペンス悪魔のような完全犯罪」(主演:尾形洋子役)に出演

・1983年(38歳):テレビドラマ「私は負けない!ガンと闘う少女」(佐久間久子役)に出演

・1984年(39歳):第一子となる男児を出産

松原智恵子さんは30代になり、多くのサスペンスドラマにも出演するようになりました。

日本を代表するミステリー作家である松本清張さん原作の作品にも多数出演し、若い頃のヒロイン役とはひと味違う、緊張感のある演技で視聴者を楽しませました。

1982年、37歳のときにはテレビドラマ「ザ・サスペンス悪魔のような完全犯罪」で主演の尾形洋子役を務めています。

滞在先の別荘で事件に巻き込まれ、恐怖に怯えて身も心もボロボロになっていく主婦の様子を熱演しました。

フクイくん

普段はおっとりとしている松原智恵子さんからは想像でき
ない、張り詰めた演技をご覧あれ!

プライベートでは、38歳の時に妊娠、39歳の時に第一子となる男児を出産しました。

松原智恵子さんは35歳ころから子供が欲しいと考えていたそうですがなかなか妊娠しなかった為、”妊娠が分かった時はとても嬉しかった”と語っています。

フクイくん

そんな息子さんが留学のために家を出たのが16歳の時。松原さん自身も16歳で家を出ているって言うんだから、行動力も遺伝するのかも⁉

出産後は、10か月間子育てに専念し、その後仕事に復帰しました。

子供との一瞬一瞬を大切にしたいとの思いから、復帰後しばらくの間は子供のスケジュール最優先で仕事をしていたのだそう。

過去のインタビューで、”子供に対して「あなたのことをいつも見ているよ」という安心感を与えたかった”と語っており、子供思いなお人柄がうかがえます。

40代の頃

40代の松原智恵子さんはどんな経歴だったのでしょうか?

40代の松原智恵子さんの経歴まとめ

・1986年(41歳):バラエティー番組「ごきげん月曜7時半」(お茶の間コントのお母さん役)に出演

・1988年(43歳):テレビドラマ「結婚する手続き」(ヒロインの母親役)に出演

・1989年(44歳):テレビドラマ「金田一耕助の傑作推理薔薇王」(日疋静子役)に出演

・1990年(45歳):映画「十六歳のマリンブルー」(立林佳代役)に出演

・1991年(46歳):テレビドラマ「幕府お耳役檜十三郎」(お富役)に出演

・1992年(47歳):テレビドラマ「その時、ハートは盗まれた」(椎名正子役)に出演

39歳で出産した松原智恵子さん、40代は子育て全盛期でした。

家の事はお手伝いさんの手を借りつつも、子供のお弁当を作ったり、参観日や運動会、保護者会などにも参加しながら女優の仕事を続ける毎日

想像しただけで目が回りそうな忙しさですが、松原さんは「家庭も仕事も充実してとても楽しい10年間だった」と語っておられます。

フクイくん

40歳の時にはバラエティー番組でコントにも挑戦していたっていうんだから、出産後も幅広く活躍していたんだね!

そんな松原智恵子さん、43歳の時にはテレビドラマ「結婚する手続き」に出演しました。

一人っ子同士のカップルが結婚にこぎつけるまでを描いたホームドラマで、松原智恵子さんはヒロインの郁子さんを励ます母親役を演じています。

松原智恵子の若い頃(昔)の髪型は?

松原智恵子さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は、胸あたりまでの長さの黒髪ロングヘアでした。

前髪は長め、短めどちらの時期もありましたが、全体の長さはずっとロングヘアだったようです。

艶々な黒髪の上品な印象が、松原智恵子さんにピッタリですね!

フクイくん

若い頃の髪型もすごく可愛い!

そして現在は、後ろでのまとめ髪が多いようです。

衣装によって髪をおろしている時もあり、若い頃と同じくらいの胸あたりまでの長さでした。

いろんな髪型を経験してきた松原智恵子さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた松原智恵子さん。

これからも応援しています!

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