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【画像】坂本龍一の若い頃がイケメンすぎ!昔の楽曲や経歴を時系列まとめ!


音楽家として幅広く活躍した坂本龍一さん。

2023年3月に享年71歳で亡くなられていますが、その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな楽曲を出して、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • 坂本龍一さんの若い頃のイケメン画像
  • 若い頃の楽曲や経歴
  • 若い頃と晩年の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】坂本龍一の若い頃(昔)がイケメンすぎ!

音楽家として多くのファンを魅了してきた坂本龍一さん。

その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!

フクイくん

歳を重ねてもイケメンだったけど!

早速、坂本龍一さんの若い頃の画像を見てみましょう。

イケメン!爽やかすぎる!

見つめられるとドキドキします。

坂本龍一さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!

坂本龍一の若い頃(昔)の楽曲や経歴を時系列でまとめ!

若い頃からイケメンな坂本龍一さんですが、晩年までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!

20代の頃

坂本龍一さんは、こんな20代を過ごしています。

20代の坂本龍一さんの経歴まとめ

・1974年(22歳):東京芸術大学 音楽学部 作曲科を卒業

・1974年(22歳):東京芸術大学院 音楽研究科 修士課程に進学

・1975年(23歳):フォークシンガーの友部正人さんのアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加

・1976年(24歳):大正琴奏者の竹田賢一さんと「学習団」を組織

・1977年(25歳):東京芸術大学院 音楽研究科 修士課程を修了

・1978年(26歳):ミュージシャンの細野晴臣さんのアルバム『はらいそ』に参加

・1978年(26歳):ミュージシャンの細野晴臣さん、高橋幸宏さんと共に音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成

・1979年(27歳):YMOとしてアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を発売

・1979年(27歳):コーラスグループ「サーカス」のシングル『アメリカン・フィーリング』で編曲を担当

  • 日本レコード大賞 編曲賞を受賞

・1981年(29歳):音楽ラジオ番組『サウンドストリート』のパーソナリティを担当

坂本龍一さんは、東京芸術大学在学中に民族音楽学の小泉文夫さんの講義を受け、これまでの音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けます。

そして、1974年22歳の時に東京芸術大学 音楽部 作曲科を卒業した坂本龍一さんは、同年1974年に東京芸術大学院 音楽研究科 修士課程に進学しました。

1975年(当時23歳)、大学院在学中に坂本龍一さんはフォークシンガーの友部正人さんのアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。

坂本龍一さんはスタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせます。

フクイくん

20代の若い頃から音楽家としてバリバリ活躍してたんだなぁ~

1977年25歳の時に東京芸術大学院を修了した坂本龍一さん。

翌年1978年(当時26歳)には、ミュージシャンの細野晴臣さんのアルバム『はらいそ』に参加。

さらに同年1978年26歳の時に、ミュージシャンの高橋幸宏さん、細野晴臣さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成し、活動を開始しています。

翌年発売したYMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は、日本国内での売り上げが累計で102.1万枚を記録するなど爆発的な人気を博しました。

フクイくん

「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のシンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽は、日本国内で社会現象となったよ~!

30代の頃

30代の坂本龍一さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。

30代の坂本龍一さんの経歴まとめ

・1982年(30歳):シンガーソングライターの矢野顕子さんと結婚

・1983年(31歳):映画『戦場のメリークリスマス』にて主演と音楽を担当(ヨノイ大尉役)

  • 英国アカデミー賞 作曲賞を日本人として初めて受賞

・1983年(31歳):音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を解散

・1984年(32歳):レコード会社「MIDIレコード」を設立

・1986年(34歳):初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を開催

・1986年(34歳):個人事務所「トラフィコ」を設立

・1987年(35歳):映画『ラストエンペラー』に出演(甘粕正彦満映理事長役)

・1989年(37歳):都民文化栄誉賞を受章

・1990年(38歳):音楽の拠点をニューヨークに移す

私生活では、1982年(当時30歳)に坂本龍一さんはシンガーソングライターの矢野顕子さんと結婚しました。

また、音楽家以外でも活躍の幅を広げていき、坂本龍一さんは翌年1983年31歳の時に映画『戦場のメリークリスマス』にヨノイ大尉役として出演。

デヴィッド・ボウイさんやビートたけしさんと共演し、この作品は第36回カンヌ国際映画祭に出品されました。

さらに、出演の条件として映画『戦場のメリークリスマス』の音楽も担当していた坂本龍一さん。

坂本龍一さんの音楽は世界的に高い評価を受け、英国アカデミー賞 作曲賞を日本人として初めて受賞しました。

フクイくん

音楽家としてだけでなく、俳優としても活躍の幅を広げていたんだね!

1983年(当時31歳)に音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」は解散し、坂本龍一さんは翌年1984年32歳の時にレコード会社「MIDIレコード」を設立します。

1986年(当時34歳)には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を開催し、全国24か所で28公演を行いました。

また、坂本龍一さんは1990年38歳の時から音楽の拠点をニューヨークに移しています。

40代の頃

40代の坂本龍一さんの経歴も見てみましょう。

40代の坂本龍一さんの経歴まとめ

・1992年(40歳):バロセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を担当

・1993年(41歳):音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を再結成

・1994年(42歳):日本のレコード会社「フォーライフ・レコード」に移籍

・1995年(43歳):音楽ユニット「GEISHA GIRLS」に参加

・1995年(43歳):バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演

・1998年(46歳):海外地域でレコード会社「Sony Classical」と契約

・1999年(47歳):マキシシングル『ウラBTTB』がミリオンセラーとなる

・2001年(49歳):ブラジル政府よりリオ・ブランコ国家勲章「カヴァレイロ位」を授与

ますます活躍の勢いが止まらない坂本龍一さん。

1993年(当時41歳)に、音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を再結成しました。

翌年1994年42歳の時からは契約地域を分割して日本のレコード会社「フォーライフ・レコード」に移籍し、日本国内での活動を活発にしていきます。

フクイくん

国際的な音楽家として日本でも世界でも活躍していたんだ!

1995年、43歳を迎えた坂本龍一さんは、お笑いコンビ「ダウンタウン」の変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」に参加しました。

これ以降、「ダウンタウン」との親交を深めた坂本龍一さんは、同年1995年にバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』にてコント「アホアホマン」にも出演しています。

1999年47歳の時には、CMに用いられたピアノソロ曲「energy flow」を収録したマキシシングル『ウラBTTB』がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとして初のオリコンチャート1位を記録しました。

フクイくん

坂本龍一さん曰く、ピアノソロ曲「energy flow」は5分程で作ったそうだよ!すごい~!

50〜60代の頃

50〜60代の坂本龍一さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?

50〜60代の坂本龍一さんの経歴まとめ

・2006年(54歳):エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立

・2006年(54歳):シンガーソングライターの矢野顕子さんと離婚

・2009年(57歳):フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与

・2010年(58歳):文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与

・2012年(60歳):ロック・フェスティバル「NO NUKES」を企画し、開催

・2014年(62歳):中咽頭癌を発表し、療養に専念

・2015年(63歳):映画『母と暮せば』にて音楽を担当し、仕事復帰

  • 第70回 毎日映画コンクール 音楽賞を受賞

・2016年(64歳):第25回 モンブラン国際文化賞を受賞

・2017年(65歳):ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開

・2018年(66歳):映画『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』を公開

2006年(当時54歳)にエイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立した坂本龍一さん。

私生活では、同年2006年にシンガーソングライターの矢野顕子さんと離婚しました。

坂本龍一さんは、芸術家としてますます多方面で活躍し、2009年57歳の時には文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与されています。

フクイくん

若い頃もイケメンだけど、50代になってオトナの魅力が増した坂本龍一さんもすごく素敵!

坂本龍一さんは2014年(当時62歳)に中咽頭癌であること、そして療養に専念するためにコンサート活動を中止する旨を発表しました。

その翌年、2015年63歳の時に映画『母と暮せば』の音楽を担当し、坂本龍一さんは仕事に復帰

この作品で坂本龍一さんは、第70回 毎日映画コンクール 音楽賞を受賞しています。

また、坂本龍一さんは2016年(当時64歳)に第25回 モンブラン国際文化賞を受賞しました。

坂本龍一の若い頃(昔)の髪型は?

坂本龍一さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は黒髪の七三分けヘア

爽やかな印象でかっこいいですね!

また、「YMO」を結成した初期に坂本龍一さんを含めたメンバー3人がしていた髪型は、もみあげを鋭角に剃り整え、襟足を刈り上げたテクノカット

フクイくん

中央が坂本龍一さん!「テクノカット」は「YMO」のメンバーがしていたことにちなんで名付けられ、1980年代に大流行したよ!

そして、晩年は白髪のセンター分け

様々な髪型を経験してきた坂本龍一さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた坂本龍一さん。

2023年3月に享年71歳で亡くなられてしまいましたが、これからもファンの皆様に愛され続けることを心から願っております。

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