当ページのリンクには広告が含まれています

【画像】樹木希林の若い頃が可愛すぎ!昔の出演作品や経歴を時系列まとめ!


女優として幅広く活躍していた樹木希林さん。

その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • 樹木希林さんの若い頃の可愛い画像
  • 若い頃の出演作品や経歴
  • 若い頃と現在の比較画像
  • 若い頃と現在の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】樹木希林の若い頃(昔)が可愛すぎ!

女優として多くのファンを魅了してきた樹木希林さん。

2004年に乳がんが見つかって以降、2013年にはがんが全身に転移していることも明かしており、2018年に家族に見守られる中、自宅でお亡くなりになりました。

そんな樹木希林さんですが、若い頃が可愛すぎると話題なんです!

早速、樹木希林さんの若い頃の画像を見てみましょう。

可愛い!正統派美人!

面影を感じます。

樹木希林さん、若い頃から個性的で可愛いですね!

樹木希林の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!

若い頃から可愛い樹木希林さんですが、昔の出演作品や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!

10~20代の頃

若い頃は女優になる気はなかったという樹木希林さん。

どんな経緯で女優の道に進んだのか、10~20代の頃の経歴を見てみましょう。

10~20代の樹木希林さんの経歴まとめ

・1961年(18歳):文学座付属演劇研究所に1期生として入団

・1964年(21歳):テレビドラマ「七人の孫」(おトシ役)に出演(悠木千帆名義)

・1964年(21歳):文学座の同期である俳優の岸田森さんと結婚

・1966年(23歳):文学座を退団

・1966年(23歳):劇団「六月劇場」を発足

・1966年(23歳):映画「殿方御用心」(主人公の友人・倉石松子役)で映画初出演(悠木千帆名義)

・1968年(25歳):俳優の岸田森さんと離婚

・1970年(27歳):映画「男はつらいよ・フーテンの寅」(旅館の女中役)に出演(悠木千帆名義)

・1970年(27歳):テレビドラマ「時間ですよ」(児島浜子役)に出演(悠木千帆名義)

・1972年(29歳):テレビドラマ「鉄平と順子」(まさよ役)に出演(悠木千帆名義)

親の勧めもあり、高校生時代は薬科大学を目指していたという樹木希林さん。

しかし、大学受験の直前に足を骨折したことで、受験を断念せざるを得なくなってしまったそうです。

同級生たちが新たな道に進もうとする中、何の目標もなく家でじっとしていなければならず疎外感を感じていた樹木希林さんは、どこか毎日通えるような学校はないかと考え始めます。

そんな時に出会ったのが、『新劇の3劇団が研究生募集』という新聞記事でした。

フクイくん

新劇3劇団っていうのは、「文学座」「劇団俳優座」「劇団民藝」のことだよ!

そして、試験を受けに行った文学座に見事合格。

1961年に文学座一期生として付属演劇研究所に入ることになりました。

”悠木千帆”名義で女優活動をスタートさせた樹木希林さんは、1964年にはテレビドラマ「七人の孫」に出演します。

作品の舞台となる北原家の女中、おトシ役として出演していた樹木希林さんですが、主演の森繫久弥さんのアドリブの演技を臨機応変に受けきり、このコンビのシーンはドラマの見せ場となりました。

1966年、23歳の時には、映画「殿方御用心」で初の映画出演も果たします。

主人公の親友・倉石松子役を務め、主演の大楠道代さんと共にたくましく生きる女子大生を演じました。

その4年後、1970年に出演したテレビドラマ「時間ですよ」で、樹木希林さんは不動の人気を得ます。

堺正章さん、浅田美代子さんらとのギャグのシーンの掛け合いはお見事でした。

フクイくん

共演した浅田美代子さんを我が子のように可愛がっていたみたいで、若い頃から人との繋がりを大切にしていた樹木希林さんの人柄が伺えるね~!                                                         

プライベートでは1964年に、文学座の同期である岸田森さんと結婚

1966年には揃って文学座を退団し、「六月劇場」という小劇団を発足するなど公私共に仲睦まじかったお2人は、たびたびおしどり夫婦として雑誌に取り上げられることもありました。

しかし、結婚から4年後の1968年には2人は離婚することとなりました。

嫁姑問題が離婚原因との声もありますが、結婚後も多忙な日々を過ごす中で、すれ違いが生じたことも原因のひとつであると言われています。

30代の頃

30代を迎えた樹木希林さんの経歴を見てみましょう。

30代の樹木希林さんの経歴まとめ

・1973年(30歳):ミュージシャンの内田裕也さんと結婚

・1974年(31歳):テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(寺内きん役)に出演(悠木千帆名義)

・1974年(31歳):映画「炎の肖像」(食堂の女役)に出演

・1976年(33歳):第一子となる女の子(内田也哉子さん)を出産

・1976年(33歳):テレビドラマ「気まぐれ天使」(伊集院綾乃役)に出演(悠木千帆名義)

・1977年(34歳):特別番組「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル」の中のオークションコーナーに出演し、芸名”悠木千帆”を競売にかけ落札される→芸名を”樹木希林”に改名

・1977年(34歳):テレビドラマ「ムー」(金田久美子役)に出演

・1977年(34歳):郷ひろみさんとのデュエット曲「お化けのロック」をリリース

・1978年(35歳):フジカラーのCMに出演

・1979年(36歳):ピップエレキバンのCMに出演

・1981年(38歳):テレビドラマ「岡っ引どぶ」(お仙役)に出演

30歳の誕生日を迎えた1973年、樹木希林さんはミュージシャンの内田裕也さんとの結婚を発表しました。

2人の出会いは、樹木希林さんが20代の頃に出演していたドラマ「時間ですよ」の撮影現場。

共演の堺正章さんが所属するザ・スパイダースの仲間、ムッシュかまやつさんが遊びに来た際、一緒にいたのが内田裕也さんだったそうで、至って普通の出会いだったようです。

そんなお2人、挙式の時の衣装はタキシードにウェディングドレスではなく、お揃いのデニムの衣装でした。

挙式は築地本願寺で行われて多くのファンも集まり、常識にとらわれない挙式のスタイルも話題となりました。

フクイくん

結婚式中も手をつないだり肩を抱いたり、仲睦まじい様子だったみたいだよ~

結婚から3年後の1976年には、第1子となる女の子を出産しています。

実はこの頃すでに内田裕也さんとは別居しており、樹木希林さんは出産の前日まで仕事をして、産後も2~3日で仕事を始めていたようです。

お手伝いさんも雇わず仕事をしながらの子育て、ハードな日々を送っていたことは想像に難くありません。

その女の子というのが、現在エッセイストや女優として活躍している内田也哉子さん

若い頃の樹木希林さんの面影を感じますね!

出産後も変わらず仕事を続けていた樹木希林さん。

1977年に特別番組「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル」に出演した際には、番組内のオークションコーナーで当時の芸名『悠木千帆』を競売にかけるという破天荒ぶりをみせました。

そして『悠木千帆』が落札されると、『樹木希林』を名乗るようになりました。

改名した年と同じく1977年には、テレビドラマ「ムー」に出演し、金田久美子役を演じます。

郷ひろみさん演じる宇崎拓郎とのコメディタッチな掛け合いはドラマの見どころとなり、2人のデュエット曲「お化けのロック」も大ヒット曲となりました。

『樹木希林』に改名後初のドラマ出演となりましたが、曲の大ヒットも手伝って、新しい芸名も世間に広く知られることになったのでした。

映画やドラマだけでなく、樹木希林さんはCMでもその存在感を発揮しました。

1978年から40年に渡って出演し続けていたフジカラーのCM

1980年に放送された”お名前篇”では、店員役の岸本加世子さんとの「美しい人はより美しく、そうでない方は…」「そうでない場合は?」「それなりに映ります」というやり取りが流行語になりました

フクイくん

2002年には、好感度が最も高い女性CMタレント1位に輝くほど、世間から愛されていたんだね!

40代の頃

40代の樹木希林さんはどんな経歴だったのでしょうか?

40代の樹木希林さんの経歴まとめ

・1984年(41歳):テレビドラマ「松本清張スペシャル・一年半待て」(高森たき子役)に出演

・1985年(42歳)映画「カポネ大いに泣く」(立川仙枝役)に出演

・1985年(42歳):映画「夢千代日記」(菊奴役)に出演し、日本アカデミー賞にて優秀助演女優賞を受賞

・1986年(43歳):NHK連続テレビ小説「はね駒」(橘やえ役)に出演

・1988年(45歳):映画「郷愁」(上岡ミネ役)、映画「つる₋鶴₋」(由良役)に出演し、日本アカデミー賞にて優秀助演女優賞を受賞

・1991年(48歳):映画「戦争と青春」(小野木悦子役)、映画「大誘拐」(中村くら役)に出演し、日本アカデミー賞にて優秀助演女優賞を受賞

・1991年(48歳):NHK連続テレビ小説「君の名は」(深野柳子役)に出演

40代になり、その演技力にも磨きがかかってきた樹木希林さん。

1985年公開の映画「夢千代日記」では、自身初の日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しました。

樹木希林さんが演じたのは、吉永小百合さん演じる夢千代を支えながら生きる年増芸者・菊奴役。

いつも自分より人のことを考えている優しい菊奴役を見事に演じました。

フクイくん

樹木希林さんは40代のうちに、全部で3度の日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しているんだね!

1986年には、NHK連続テレビ小説「はね駒」に出演し、斉藤由貴さん演じるヒロイン・橘リンの母親役を演じました。

家族への深い愛情に満ちた母親役を好演し、観た人の多くが自身の母親と重ね合わせ、多くの反響を呼んだようです。

樹木希林さんご本人も後のインタビューで、『女がこうあったらいいなという,理想に近いものを演じた』と語っておられます。

50代の頃

50代の経歴も見ていきましょう。

50代の樹木希林さんの経歴まとめ

・1993年(50歳):映画「夢の女」(お松役)に出演し、日本アカデミー賞にて優秀助演女優賞を受賞

・1995年(52歳):テレビドラマ「味いちもんめ」(藤村芳江役)に出演

・1995年(52歳):映画「時の輝き」(永島役)に出演

・1999年(56歳):映画「39・刑法第三十九条」(長村時雨役)に出演

・2000年(57歳):NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」(春日局役)に出演

・2002年(59歳):映画「命」(主人公・美里の母役)に出演

・2002年(59歳):映画「Returner」(情報屋の謝役)に出演し、日本アカデミー賞にて優秀助演女優賞を受賞

50代を迎えた1993年、映画「夢の女」に出演した樹木希林さんは、4度目となる日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しました。

40代の頃に出演していた「夢千代日記」でも共演していたお2人はプライベートでも仲が良く、樹木希林さんの娘・内田也哉子さんが『吉永小百合さんは第2の母」と呼ぶほど親交が深かったようです。

樹木希林さんはその後、2002年にも映画「Returner」で日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しており、50代でも2度の受賞となりました。

樹木希林さんが演じたのは、裏社会で生きる主人公・ミヤモトに情報を流したり、武器を売ったりする情報屋の役。

それまで演じてきた母親役などとは違い影のある役どころでしたが、その唯一無二の存在感で観る人を引き込みました。

樹木希林の若い頃(昔)と現在を画像で比較!

樹木希林さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在(晩年の70代)樹木希林さんは変わっているのでしょうか?

昔の樹木希林さんと70代の樹木希林さんを画像比較してみましょう。

若い頃も現在も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!

フクイくん

美しすぎて惚れ惚れしちゃう

メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず美しい樹木希林さんですね!

樹木希林の若い頃(昔)の髪型は?

樹木希林さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は、シンプルなショート~ボブヘアにしていることが多かったようです。

当時としては珍しい、ツートンカラーにしていた時もありました。

フクイくん

若い頃の髪型もすごく可愛い!

そして晩年は自然なグレーヘアで、長さは若い頃と同じくショート~ボブヘアでした。

若い頃と違うのは、おでこが見えるように前髪を分けているというところ。

いろんな髪型を経験してきた樹木希林さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた樹木希林さん。

これからも応援しています!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次