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【画像】みのもんたの若い頃がイケメンすぎ!昔の出演作品や経歴を時系列まとめ!


タレントや実業家として幅広く活躍していた、みのもんたさん。

2025年3月に享年80歳で亡くなられていますが、その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • みのもんたさんの若い頃のイケメン画像
  • 若い頃の出演作品や経歴
  • 若い頃と晩年の比較画像
  • 若い頃と晩年の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】みのもんたの若い頃(昔)がイケメンすぎ!

タレントや実業家として多くのファンを魅了してきた、みのもんたさん。

その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!

フクイくん

歳を重ねてもイケメンだったけど!

早速、みのもんたさんの若い頃の画像を見てみましょう。

イケメン!爽やかすぎる!

面影がありますね!

みのもんたさん、若い頃から色気があってかっこいいですね!

みのもんたの若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!

若い頃からイケメンなみのもんたさんですが、晩年までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!

20〜30代の頃

みのもんたさんは、こんな20〜30代を過ごしています。

20〜30代のみのもんたさんの経歴まとめ

・1967年(22歳):3月、立教大学経済学部を卒業

・1967年(22歳):4月、文化放送に入社する

・1969年(25歳):深夜ラジオ番組『セイ!ヤング』にて初代パーソナリティを担当

・1979年(35歳):文化放送を退社

・1980年(36歳):スポーツ番組『プロ野球ニュース』にてキャスターとナレーションを担当

・1982年(38歳):バラエティ番組『体当り!!スーパーレース』に出演

大学時代には放送研究会に所属してラジオドラマを制作していた、みのもんたさん。

そして1967年(当時22歳)、みのもんたさんは立教大学経済学部を卒業後に文化放送に入社します。

文化放送入社後、1969年25歳の時から始まった深夜ラジオ番組『セイ!ヤング』で初代パーソナリティを担当。

また、みのもんたさんは次第にラジオだけでなくテレビの出演も増えていき、バラエティ番組『オールスター水泳大会』の司会などを務めて人気を博しました。

フクイくん

20代の若い頃から第一線でバリバリ活躍してたんだなぁ~

アナウンサーとして人気を集めていた、みのもんたさん。

しかし、人事異動で営業部へ配転され1979年(当時35歳)に文化放送を退社します。

文化放送を退社後、みのもんたさんは父親が経営する水道メーター製造・販売会社の日国工業に入社しました。

フクイくん

若い頃、みのもんたさんはアナウンサーをやめて会社員として働いていた時期があったんだ!

会社員として約10年間、全国を営業で回っていたみのもんたさん。

その間に、みのもんたさんはフジテレビに声をかけられ、1980年36歳の時にスポーツ番組『プロ野球ニュース』にナレーションを入れたところ、再び人気が出ていきます。

そして、スポーツ番組『プロ野球ニュース』がきっかけとなり、1983年(当時39歳)からスポーツバラエティ番組『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』がスタートすることとなりました。

40〜50代の頃

40〜50代のみのもんたさんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。

40〜50代のみのもんたさんの経歴まとめ

・1987年(43歳):ラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』がスタート

・1989年(45歳):ワイドショー『午後は○○おもいッきりテレビ』にて司会を担当

・1993年(49歳):バラエティ番組『どうぶつ奇想天外!』にて司会を担当

・1997年(53歳):バラエティ番組『学校へ行こう!』にて司会を担当

・1999年(55歳):「日国工業」を受け継ぎ、代表取締役社長に就任

・2000年(56歳):クイズバラエティ番組『クイズ$ミリオネア』にて司会を担当

みのもんたさんは、リポーターやコミカル系サブ司会者として注目されていきます。

1989年45歳の時には、ワイドショー『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会を担当。

この番組は高視聴率を取るようになり、みのもんたさんは人気司会者の地位を築いていきました

その後も1997年(当時53歳)にバラエティ番組『学校へ行こう!』や、2000年56歳の時にクイズバラエティ番組『クイズ$ミリオネア』など人気番組に司会として数多く出演しています。

フクイくん

クイズバラエティ番組『クイズ$ミリオネア』内で使われたみのもんたさんの「ファイナルアンサー!?」は流行語になったよ〜!

一方で実業家としての顔も持つ、みのもんたさん。

1999年(当時55歳)に「日国工業」を受け継ぎ、同社の代表取締役社長に就任しました。

また、この時にみのもんたさんは「日国工業」の社名を「株式会社ニッコク」に変更しています。

フクイくん

実業家として、みのもんたさんは本名である御法川法男という名前で活動していたよ〜!

60〜70代の頃

60〜70代のみのもんたさんの経歴も見てみましょう。

60〜70代のみのもんたさんの経歴まとめ

・2005年(61歳):『第56回NHK紅白歌合戦』にて司会を担当

・2005年(61歳):情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』がスタート

・2006年(62歳):「1週間で最も長く生放送に出演する司会者」(21時間42分)としてギネス世界記録に認定

・2007年(63歳):バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』にて久本雅美さんと共に司会を担当

・2013年(69歳):情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』を降板

・2014年(70歳):ラジオ番組『みのもんたのニッポンdiscover again』がスタート

・2018年(74歳):パーキンソン病を発症

・2020年(76歳):バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』を降板

・2020年(76歳):バラエティ番組『朝からみのもんた』がスタート

民法キー局5社全てでレギュラー番組を持ち、ますます活躍の勢いが止まらない、みのもんたさん。

2005年61歳の時には『第56回NHK紅白歌合戦』で司会を務めました。

さらに、同年2005年(当時61歳)に情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』がスタート

2007年63歳の時には、バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』がスタートし、みのもんたさんは久本雅美さんと共に司会を担当しました。

フクイくん

テレビで大活躍のみのもんたさんは、2006年(当時62歳)に「1週間で最も長く生放送に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定されたよ〜!

みのもんたさんは2018年74歳の時にパーキンソン病を発症しました。

療養しながらも活動を続けていきましたが、加齢による体力の衰えを理由に2020年(当時76歳)にバラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』を降板しています。

しかし同年2020年8月、76歳の時から新たな冠番組であるバラエティ番組『朝からみのもんた』がスタートしました。

フクイくん

70代になっても司会やタレントとして大活躍だったんだね!

みのもんたの若い頃(昔)と晩年を画像で比較!

みのもんたさんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と晩年のみのもんたさんは変わっているのでしょうか?

昔のみのもんたさんと晩年のみのもんたさんを画像比較してみましょう。

若い頃も晩年も、なんてイケメンなのでしょうか!

フクイくん

イケメンすぎて惚れ惚れしちゃう

もちろん歳を重ねた感じはありますが、肌ツヤもよく笑顔もとっても素敵です。

年月とともにどんどん、みのもんたさんの魅力が増していて、かっこよすぎですね!

みのもんたの若い頃(昔)の髪型は?

みのもんたさんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は黒髪のオールバックヘア

すっきりとした印象ですね!

フクイくん

若い頃の髪型も素敵!似合う!

そして、晩年は白髪のオールバックヘア

様々な髪型を経験してきたみのもんたさんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた、みのもんたさん。

享年80歳で亡くなられてしまいましたが、これからもファンの皆様に愛され続けることを心から願っております。

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