当ページのリンクには広告が含まれています

【画像】八代亜紀の若い頃が可愛すぎ!昔から現在までを時系列で比較!


歌手として幅広く活躍してきた八代亜紀さん。

その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!

さらに、若い頃にどんな歌をリリースして、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。

そこで今回は、

  • 八代亜紀さんの若い頃の可愛い画像
  • 若い頃の歌や経歴
  • 若い頃と晩年の比較画像
  • 若い頃と晩年の髪型比較

についてまとめました!

目次

【画像】八代亜紀の若い頃(昔)が可愛すぎ!

歌手として多くのファンを魅了してきた八代亜紀さん。

その若い頃が可愛すぎると話題なんです!

早速、八代亜紀さんの若い頃の画像を見てみましょう。

可愛い!正統派美人!

面影を感じます。

八代亜紀さん、若い頃から色気があって可愛いですね!

八代亜紀の若い頃(昔)の歌や経歴を時系列でまとめ!

若い頃から可愛い八代亜紀さんですが、昔リリースした歌や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!

20代の頃

20代の頃の経歴を見てみましょう。

20代の八代亜紀さんの経歴まとめ

・1971年(21歳):「愛は死んでも」で歌手デビュー

・1973年(23歳):「なみだ恋」が120万枚の大ヒット、映画『夜の歌謡シリーズ なみだ』にも出演

・1974年(24歳):「愛ひとすじ」で第7回日本有線大賞 グランプリを受賞

・1976年(26歳):「もう一度逢いたい」で第18回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞を受賞

・1977年(27歳):「愛の終着駅」で第19回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞を受賞

・1977年(27歳):「おんな港町」で第10回全日本有線放送大賞 特別賞を受賞

・1977年(27歳):映画『トラック野郎・度胸一番星』に出演、挿入歌「恋歌」も担当

・1978年(28歳):映画『多羅尾伴内』で歌手役で出演、挿入歌「愛の條件」も担当

・1979年(29歳):「舟唄」で第21回日本レコード大賞 金賞を受賞

子どもの頃から父親の影響で歌好きに育ち、歌唱コンクール等にも出場した八代亜紀さん。

中学卒業後、地元・熊本でバスガイドとして働いていましたが、15歳で父の反対を押し切り、上京。

銀座のクラブ歌手として働いていた時に、五木ひろしさんと知り合い、芸能プロダクションの紹介を受け、1971年21歳でデビューとなったのです!

オーディション番組『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜き、グランドチャンピオンになった後から徐々にCDも売れ始めたそうです。

フクイくん

『全日本歌謡選手権』に出演したのは20代だったのか!

1973年リリースの4枚目のシングル「なみだ恋」が120万枚の大ヒット

第15回日本レコード大賞 歌唱賞等、自身初の受賞となり、年末の紅白歌合戦にも初出場しています。

この曲を題材とした映画『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』ではクラブ歌手の役で出演しました。

翌年1974年リリースの「愛ひとすじ」はこの年の年間オリコンチャート25位にランクイン!

  • 第7回日本有線大賞 グランプリ
  • 第16回日本レコード大賞 歌唱賞
  • 第5回日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 夜のレコード大賞 優秀スター賞

を受賞しました。

「なみだ恋」の大ヒットによりトラック運転手から支持を得るようになり、「八代観音」と呼ばれる八代亜紀さんの顔が描かれたトラックまで出現!

これがきっかけで、1977年公開の映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手役で出演しました。

30代の頃

30代を迎えた八代亜紀さんの経歴を見てみましょう。

30代の八代亜紀さんの経歴まとめ

・1980年(30歳):「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞 大賞を受賞

・1981年(31歳):女子刑務所への慰問公演を開始させる

・1982年(32歳):センチュリーレコードへ移籍

・1982年(32歳):木曜ゴールデンドラマ『北のめぐり逢い』で主演

・1983年(33歳):「日本海」で第25回日本レコード大賞 特別金賞を受賞

・1984年(34歳):第10回演歌大賞 名誉歌手賞を受賞

・1986年(36歳):日本コロムビアへ移籍

・1986年(36歳):映画『玄海つれづれ節』に出演

・1987年(37歳):水曜ドラマスペシャル『袋小路の女』で主演

・1987年(37歳):個人事務所を設立

1980年リリースの30枚目のシングル「雨の慕情」では、ついに第22回レコード大賞 大賞を受賞

多くのCMやドラマに起用され、世代を超えた大ヒット曲となりました。

また、サビで手のひらを天に向ける振り付けは八代亜紀さん本人の考案によるものだそうです!

1983年リリースの「日本海」では、第25回日本レコード大賞 特別金賞を受賞

この頃から徐々に、ヒットスターからベテラン歌手として認知されていくようになりました。

フクイくん

“演歌の女王”と呼ばれ始めたのもこの頃だよね~!

1986年公開の映画『玄海つれづれ節』は、吉永小百合さん主演、八代亜紀さんは準主役級で出演しています!

内容は、”二人で憎い男を騙す痛快劇”で、オファーを受けた時の八代亜紀さんは、

ワルい男をやっつけるって面白い。女性が"あんなヤツ!"って思う男を、まんまとだます"悪女"になれたらいい気分ですよね。女のお客さんが思わず拍手してくれれば最高。

とコメントしています。

1987年には水曜ドラマスペシャル『袋小路の女』で主演を務めました!

ドラマ主演は1982年の『北のめぐり逢い』に続いて2作品目で、この作品が最後となっています。

40代の頃

40代の八代亜紀さんはどんな経歴だったのでしょうか?

40代の八代亜紀さんの経歴まとめ

・1990年(40歳):20周年記念シングル「花(ブーケ)束」がロングヒット

・1994年(44歳):ペルー共和国のラ・メルセにヤシロアキ工業技術学校を設立

・1994年(44歳):元マネージャーの男性と結婚

・1995年(45歳):金曜エンタテイメント『清水次郎長物語』に出演、挿入歌「茶っ切り節」も担当

・1995年(45歳):映画『極道の妻たち 赫い絆』に出演、主題歌「とおりゃんせ」挿入歌「女は花になれ」も担当

・1996年(46歳):NHK大河ドラマ『秀吉』に出演、挿入歌「泡沫〜UTAKATA〜」も担当

・1998年(48歳):絵画「想い出」がフランスのル・サロン展で入選

・1998年(48歳):絵画「見つめているものは…」が第24回欧州国際美術展で入選

1990年に、デビュー20周年記念として「花(ブーケ)束」をリリースした八代亜紀さん。

演歌色のないバラード調の曲で、若い女性にも受け入れられ、カラオケでも多く歌われました。

1994年、44歳の時、元歌手でマネージャーだった男性と結婚

八代亜紀さんの方から「嫁さんになってあげてもいいよ」とプロポーズしたそうです!

27年間の結婚生活を送り、2021年に離婚となりました。

幼い頃から水彩画を描くことが好きだった八代亜紀さんですが、1995年に画家の市川元晴さんと知り合い、個展を見て、師事することに!

こんなに絵が好きで、描くのが幸せな人はいないのでは

と思うような熱心ぶりで、写実的な油絵を描くことにハマっていったそうです。

フランスの名門美術展であるル・サロン展で入選する等、画家としても活躍しました。

フクイくん

自分が好きなことで才能を開花させられるなんて素敵だな~!!

1995年公開の『極道の妻たち 赫い絆』では元ヤクザの妻役として出演しました。

主題歌「とおりゃんせ」と挿入歌「女は花になれ」の担当もし、話題となりました!

50代の頃

50代を迎えた八代亜紀さんの経歴を見てみましょう。

50代の八代亜紀さんの経歴まとめ

・2000年(50歳):日本全国すべての女子刑務所への訪問達成

・2000年(50歳):画集「みんな、こどもだった 八代亜紀抒情画物語」を出版

・2002年(52歳):フランスのル・サロン展で5年連続入選となる

・2003年(53歳):「八代亜紀絵画コンクール」の名誉会長に就任

・2003年(53歳):政経文化画人展で内閣総理大臣賞を受賞

・2004年(54歳):くまもと誘友(ゆうゆう)大使の名誉大使第1号に就任

・2008年(58歳):第9回日本・フランス現代美術世界展で特別賞を受賞

・2009年(59歳):熊本市親善大使に就任

面倒見のいい両親の影響で、若い時から様々なボランティア活動に取り組んできた八代亜紀さん。

特に女子刑務所の慰問公演は1981年から行っており、2000年で日本中すべての女子刑務所を訪れたそうです!

2000年には、画集「みんな、こどもだった 八代亜紀抒情画物語」を出版しました。

フクイくん

長年ボランティア活動をしているし、歌や絵を通じて八代亜紀さんに救われたって人も多いよね!

八代亜紀さんは紅白歌合戦に多く出場していることでも有名です。

1973年に初出場して以来15年連続、1989年から5年連続、1999年から3年連続出場で、計23回出場しているのです!

その間にトリ3回(大トリ2回)、トップバッターも1回務めています。

2001年が最後の紅白出場となり、「これからがある」を歌唱しました。

2003年から、故郷・八代市の活性化と地域づくりを目的とした「八代亜紀絵画コンクール」の名誉会長に就任しました。

中高生の応募の中から毎回八代亜紀さん本人が「八代亜紀賞」等を選んでいたそうです!

60代の頃

60代を迎えた八代亜紀さんの経歴を見てみましょう。

60代の八代亜紀さんの経歴まとめ

・2010年(60歳):文化庁長官表彰を受賞

・2012年(62歳):第22回くまもと県民文化賞の特別賞を受賞

・2012年(62歳):ユニバーサルミュージックからジャズアルバム「夜のアルバム」を発売、世界配信

・2013年(63歳):ニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催

・2016年(66歳):ディズニー映画『ファインディング・ドリー』に日本語吹替えで出演、エンドソングも担当

・2019年(69歳):スペシャルドラマ『約束のステージ 〜時を駆けるふたりの歌〜』に出演

・2019年(69歳):熊本で開催された世界女子ハンドボール選手権大会特別サポーターに就任、テーマソングも担当

60代に入ると毎年のように、全国各地で絵画の個展を開催していた八代亜紀さん。

会場では一部の絵画を販売したり、八代亜紀さんがデザインしたアクセサリー等のグッズ販売もあったそうです。

2012年、ジャズアルバム「夜のアルバム」をユニバーサルミュージックから発売。

世界75ヶ国で同時配信され、世界デビュー

マレーシアのiTunesジャズチャートで1位を獲得する等、大ヒットとなったのです。

同年、ジャズ歌手としてブルーノート東京のステージでライブも行いました。

フクイくん

60代に入ってからはジャズ歌手としても活躍していたんだな~!

2016年、映画『ファインディング・ドリー』の日本語吹き替え版に出演した八代亜紀さん。

本人役で「八代亜紀です。」と名乗るシーンがあり、アフレコ収録では「八代亜紀のまま、淡々と」と監督から注文されたそうです。

なんと著名な有名人が本人役で出演するのはディズニー/ピクサー史上初めてのことだそうですよ!

2016年、故郷で起きた熊本地震の後、被災地での無料コンサートの参加や義援金を渡す等の支援活動をしました。

八代亜紀さんの地元への支援はこの時だけでなく、熊本にある児童養護施設へは37年以上前から交流を続け、卓球台やクリスマスケーキを送ったり、熊本に来る時には必ず立ち寄り子どもたちと触れ合ったそうです。

またある時は

寒くなってきたから子どもたちにジャンパーを送るわね。サイズと人数を教えてね

と電話があり、本人自らが選んで買ったジャンパーが届いたそうです!

八代亜紀さん、本当に優しくてとても愛情深い方だったんですね。

そんな八代亜紀さんですが、2023年9月、膠原病の一種であり難病指定されている抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎の為、年内の活動を休止することを発表しました。

以降は療養を続けましたが、2023年12月30日、惜しまれつつもお亡くなりになりました。

八代亜紀の若い頃(昔)と晩年を画像で比較!

八代亜紀さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と晩年の八代亜紀さんは変わっているのでしょうか?

昔の八代亜紀さんと晩年の八代亜紀さんを画像比較してみましょう。

若い頃も70代も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!

フクイくん

美しすぎて惚れ惚れしちゃう

メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず美しい八代亜紀さんですね!

八代亜紀の若い頃(昔)の髪型は?

八代亜紀さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型はセミロングのパーマスタイルです。

華やかなお顔立ちなので、ふわふわなパーマがよくお似合いです。

フクイくん

若い頃の髪型もすごく可愛い!

そして、晩年はまとめ髪です。

若い頃より長い髪を上でまとめているスタイルが多く、ステージ衣装にも合っています。

いろんな髪型を経験してきた八代亜紀さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!

若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた八代亜紀さん。

これからも応援しています!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次